廃村。ワラム・パーシー

世界には『廃村(an abandoned village)』となった村々がたくさんあります。その主な理由は、伝染病、飢餓、戦争、環境破壊、気候変動、意図的な撤退などによるものです。ヨークシャーに位置するワラム・パーシー(Wharram Percy)もそのうちの一つ。イギリスの代表的な廃墟化した中世の村(a deserted medieval village;DMV)の一つとして知られています。中世の村に関する本を読んでいると、必ず登場してくる場所なのよねー。

ワラム(Wharram)とは、古スカンジナビア語で曲がったところ、パーシー(Percy)は、12~14世紀に荘園領主だったノーサンバーランド公爵の苗字に由来すると考えられています。ヨークシャー丘陵の谷間に位置するワラム・パーシーは鉄器時代、ローマ時代、アングロ・サクソン時代、ヴァイキング時代、ノルマン時代を通して、常に人間が住み続けてきた場所なのです。

1950~1990年に掛けて、考古学者、歴史学者、植物学者などの専門家チームによって、大規模な発掘調査が行われました。埋葬されていた人骨からは、赤ちゃんは母乳で育てられていたこと。魚介類を摂取していたことから、おそらく海岸沿いの集落から内陸のマーケットを通じて貿易があったこと。子供の成長は遅く、30歳になるまで成長が終っていなかったことなども明らかとなっています。

猛威を振るった黒死病もワラム・パーシーでは廃村の原因ではなく、人口は減少したものの、村が存続していたことが確認されています。ピーク時には約150人もの人々が生活していたワラム・パーシー、廃村となった理由は何だったのでしょう?

時代の流れと共に伝統的な封建制度が覆され、イギリスの農村経済は大きな変化を経験します。領主は、労働者に対し高い賃金を支払うか、それとも安い家賃で家を提供するかの選択に迫られるのです。そして、もっと収益性の高い土地利用法はないだろうかと考えるようになり、これまで行われてきた伝統的な穀物栽培よりも、牧畜農業(主に羊)のほうが収益性が高いことに気が付くのです。

当時の領主(the Hilton family)は、放牧地を作るために、住んでいた家族を立ち退かせ、家を取り壊しました。こうして、16世紀初め、村は空っぽになってしまったのです。教会は移転し、その後も400年程使用されたようですが、隣村などから通う人々の足は徐々に遠のき、嵐で塔が倒れ、次第に廃墟化してしまったようです。

写真を見ていたら、この平穏な景色、素敵な環境だなぁって思いました。かつてのように家が点在し、人々が住み続けていたとしたら、魅力的な村だったんじゃないかなぁと思います。

source; wikipedia
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