ドゥブロヴニクへ行く。
一度は訪れてみたいと思っていた『ドゥブロヴニク(Dubrovnik)』。この旧市街は1979年世界遺産に登録されています。私たちは滞在したツァヴタットの港から船で向かいました。
そして、透明度の高い海水。綺麗。
しばらくして、カヤック集団と共に、ドゥブロヴニクの有名な城壁が見えてきました。
真っ先に向かったのはやっぱり『城壁』ですね。周囲の国々から自国を守るため、地理的理由で14~15世紀に築かれた分厚い城壁と要塞です。所々で写真を撮りつつ、景色を堪能しながら城壁をぐるりと一周しました。出入口は3箇所あるようで、通りは上り下りの続く一方通行。階段を上ると、真っ先にオレンジ色の屋根瓦と青いアドリア海の風景が目に飛び込んできます。でもその景色を見て、単に「わぁ、綺麗」と思うだけじゃなかったんです。ドゥブロヴニク旧市街地はユーゴスラビア紛争(1991年)で、街は破壊され、多くの歴史的建造物も傷を負いました。1991年というと、そう遠い昔の話ではないですよね。市民の努力で丁寧に修復・再建されたこの街を見渡すと、新しい屋根瓦と古い屋根瓦が混在していることに気が付きます。圧倒的に新しく葺き替えられただろうと思われる綺麗な屋根瓦が多いんですよ。それだけの被害を受けたという証拠なのでしょうね。
写真中央、回廊のある建物がフランシスコ会修道院(Franjevacki Samostan )です。手前のスポーツ・コートが城壁内、修道院の側にあったのがちょっと意外。とは言え、人々が普通に生活していますもんね。人々がぞろぞろと城壁を歩いていくのが見えます。行ったことないけど、ふと万里の長城を連想しました。
こちらは城壁から眺める現在のメインストリート、プラツァ通り。かつてここは運河で、埋め立ててつくられたのだとか。それにしても、人がちっちゃく見える。
途中、船から見える島々を眺めていたら何となく故郷の松島を思い出しました。日本三景の一つとうたわれ、『奥の細道』で芭蕉が詠んだとされる『松島や ああ松島や 松島や』のあの松島(宮城県)です。意外や意外、こんなところで松島を思い浮かべるとは。。。
そして、透明度の高い海水。綺麗。
しばらくして、カヤック集団と共に、ドゥブロヴニクの有名な城壁が見えてきました。
港に到着です。
一番の高台にあるのがミンチェタ要塞。『城壁』と言うと、私はイギリスのヨーク(York)とチェスター(Chester)の城壁を歩いたことがあるんですけど、今回、想像はしていましたが、思ったより高かったー。高いところで25m位いあるそうですよ。ビルで言うと8階位?
こちらは城壁から眺める現在のメインストリート、プラツァ通り。かつてここは運河で、埋め立ててつくられたのだとか。それにしても、人がちっちゃく見える。
中には、紛争の傷跡だろうかと思われる場所も。。。
そして、人々の生活感溢れる風景もありました。観光客に見られちゃうね。
美しい弧を描く古い瓦屋根と隣接する新しい瓦屋根。
以前、ドゥブロヴニク旧市街の石畳がツルツルだとテレビの番組で紹介されていたのを覚えていたんですが、実際本当にツルンツルンでした。濡れているように見えるけど、光に反射しています。
その場にいると何だか不思議な感覚を覚える旧市街。それは昔にタイムスリップしたというより、人々の手で綺麗に美しく修復された古い街並みの影に、紛争の重みや心の傷、悲しみが混在し、街を想う人々の愛が感じられるような、先人たちに見守られているような、そんな何かが訴えてくるような独特な雰囲気を感じました。
その後、私たちはシーフードのランチを堪能し、旧市街を散策しつつ大聖堂や修道院を訪れ、再び船で帰路の途についたのでした。バイバイ、ドゥブロヴニク。
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