歴史に翻弄された人たち。

エドワード5世しかり、歴史に翻弄された人々は世の中にたくさん存在したのだと思う。今回私が注目したのはこの人物。エドワード・プランタジネット(Edward Plantagenet, Earl of Warwick; 1475-1499)。彼の父はリチャード3世の兄ちゃんで、ワインの酒樽で溺死させられたと言われているクラレンス公ジョージです。ジョージとその妻イザベル・ネヴィル(Isabel Neville; 1451-1476)との間に生まれたエドワード。ばら戦争という泥沼の時代に生まれ、たぶん訳も分からぬまま生涯を終えなければならなかった人物の一人。イザベルも政治利用された女性の一人だけれど、エドワードの人生はもっと儚い。。


Source; http://www.dailymail.co.uk

エドワードが生まれたのは母の実家ウォリック城。1歳で母が死に、2歳で父が処刑されると、エドワードと姉マーガレットはリチャード3世とその妻アン・ネヴィル(Anne Neville; 1456-1485/イザベルの妹)に引き取られます。リチャード3世とアンには息子がいましたがその息子は1484年に急死。失意のどん底にいる妻を慰めるため、リチャード3世は甥で10歳のエドワードを王位継承者に指名するのです。

ところが、1485年に後継者のアンが亡くなると、リチャード3世は姉の息子へ王位継承者を変更。リチャード3世もランカスター派のヘンリー・チューダー(ヘンリー7世)によって倒されると、エドワードはロンドン塔に投獄されてしまいます。彼はまだ子供でした。それでもヨーク派で王位継承権を持つ人物として厳しい支配下に置かれなければならなかったのです。彼の名を勝手に利用した反逆計画にも巻き込まれ、彼はずーっと監禁されたまま。。。監禁生活はどんなものだったんでしょうか?1499年、彼はヘンリー7世への反逆で投獄された人物と脱獄を企てて失敗し、最終的に処刑されてしまうのです。その時エドワード24歳。。。彼がどんな教育を受けていたのかは知らなけれど、王位継承者ともてはやされ、やっぱりやーめたと変更され、それでも世の中の都合で監禁生活を強いられた。。外の世界を何も知らずに死んでしまったんじゃないのかな。ロンドン塔で毎日何を考えて生活していたんだろう?そんな彼が可愛そうに思えた。。。リチャード3世が王位継承者に指名しなかったら、風当たりは少し違ったのだろうか?もっとまともな生活を送っていたら脱獄という判断をしなかったかも知れない。誰だって監禁生活してたら気が狂う。彼の遺体はビシャム・アビー(Bisham Abbey, Berkshire)という所に埋葬されているそうだ。因みに姉マーガレットも1541年に処刑されているので、プランタジネット家系は完全に断絶してしまっている。

コメント