クライステスメス

もうすぐクリスマス。英語の『クリスマス(Christmas)』という言葉は、古英語『クライステス・メス(Crīstes mæsse)』に由来し、「Christ(キリスト)のmass(ミサ)」を意味するそうだ。そして、その言葉は1038年に初めて記録されているのだとか。。。

1066年10月4日、ヘイスティングスの戦い(Battle of Hastings)でハロルド2世(Harold II, 1022-1066)を破ったノルマンディー公ギヨーム2世(Guillaume, c.1028-1087)は、ドーバー(Dover)、カンタベリー(Canterbury)を落とすと、そのままロンドンへ向かい、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)で、イングランド王ウィリアム1世(William I)として戴冠しました。それが1066年12月25日、つまりクリスマスだったんですねー。と言っても当時のクリスマスは今とは全く異なっていたと思いますが。。。


当日、ウェストミンスター寺院の周りには物々しく兵士や馬、歩兵たちが2列に並び、アルドレッド大司教(Aldred, archbishop of York)が式典を取り仕切ったそうです。彼はサクソン人に対し英語で、そしてギヨーム2世側の高位聖職者の一人がノルマン人に対しフランス語で、「ギヨーム君がイングランド王の称号を取ってもいいかな?」と尋ねると、両サイドから「いいとも!」というほぼ肯定的な返事が戻ってきた(噛み砕いて表現しています)そうです。ところが、その歓声が大きかったために、外部にいた兵士たちは暗殺事件が起きたと勘違いし、万が一の事態に備えていた彼らは、近くの家に火を放ち、寺院内にいた会衆は煙で逃げ出し、暴動騒ぎになったそうだ。大司教は戴冠式を延期したくなかったので、とっとと終わらせたみたい。てっきり万事つつがなく行われたと思っていた戴冠式。でも、実は騒然とした中で慌ただしく行われていたんですね。10月に上陸して12月の戴冠式ですもんね。それだけ、イングランド国内はまだまだ緊迫し、混乱していたってことでしょうね。

そういえば、前にも何度か触れましたが、このノルマン・コンクエスト(The Norman Conquest of England)の物語を描いたバイユー・タペストリー(Bayeux Tapestry)というものがありましたね。最後の2幕が失われているそうですが、歴史的流れからおそらくウィリアム1世の戴冠式の様子が描かれていたのではないかと考えられているようです。実際には暴動に終わった戴冠式。タペストリーにはどのようなものが描かれていたのかが気になります。。。

ユネスコ世界遺産にも登録されているウェストミンスター寺院。ロンドンを訪れた人なら行ったことのある人も多いのではないでしょうか?私も何度か前を通り過ぎてはいるものの、実は中はまだちらっと覗いたことしかないんですよね。確か行った時にミサが行われていて遠慮しました。もう昔の事なので覚えてないやー。

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