モット・アンド・ベイリー
サフォークにある小さな町クレア(Clare, Suffolk)。ここにノルマン・コンクエスト直後に建てられたという小さな城跡がありました。城跡と言っても、他の城と違って想像つかなかった。なぜなら、こんもりした小山に建造物の一部と城壁が残されているだけだったから。頂上はどう考えても住居的な城が建っていたとは考えにくいほど狭い。むしろ、高さはあれど、小学生の頃見学に行った日本の古墳を思い出しました。そこで、どんな城だったのかなぁと興味をそそられた訳です。
小山と外壁に囲われた領域で構成されたこういう形状の城は『モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)』と呼ばれるそうで、比較的容易に建設できることから、ノルマン・コンクエスト(1066)以後、ノルマン貴族があちこちに建てたのだそう。クレア城が建てられたのは1090年頃。リチャード・フィッツ・ギルバート(Richard fitz Gilbert)という領主によって建てられました。それは防御目的だけではなく、権威を示す意味もあったそうで、かつてアングロサクソンの邸宅のあった敷地に建てられのだとか。「領主はもう前とは違うんだぜぃ」という事を言いたかったんですね。
さてさて、小山を登ると残されているのはこれだけ。キープ(天守)の一部です。でもちょっと想像力が必要だわね。クレア城はのちに未亡人だったエリザベスの居住地として使用され、発展を遂げていたようですが、繫栄したのはその頃まで。彼女が65歳で亡くなると、その後城は王の手に渡り、16世紀には廃墟となりました。さらに1867年にはその敷地の一部が鉄道建設(現在は廃止)によって損なわれ、現在は公園広場として使用されています。
そんな訳で、足を伸ばさなければ知ることもなかったであろう小さな町の歴史ですけど、『モット・アンド・ベイリー』という形状から興味を持ったのもなんかのご縁。最初はまったく想像つかなかったお城だけど、ちょっとだけそこに昔の人の気配を感じました。
小山と外壁に囲われた領域で構成されたこういう形状の城は『モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)』と呼ばれるそうで、比較的容易に建設できることから、ノルマン・コンクエスト(1066)以後、ノルマン貴族があちこちに建てたのだそう。クレア城が建てられたのは1090年頃。リチャード・フィッツ・ギルバート(Richard fitz Gilbert)という領主によって建てられました。それは防御目的だけではなく、権威を示す意味もあったそうで、かつてアングロサクソンの邸宅のあった敷地に建てられのだとか。「領主はもう前とは違うんだぜぃ」という事を言いたかったんですね。
Source; Wikipedia / Tithe map of Clare Castle in 1846: A - 城や要塞を築いた小さな丘(Motte and keep); B - 内郭(Inner bailey); C - 外郭(Outer bailey); D - かつての水生園(site of former water gardens); E - New Cut (Stour) |
この城は彼の子孫であるデ・クレア一族(The de Clare)によって受け継がれました。14世紀にはエリザベス・デ・クレア(Elizabeth de Clare)が城を所有していたと書いてあります。女性が城を所有するって珍しいなって思いながら読んでいくと、1314年に領主であったギルバート・デ・クレア(Gilbert de Clare)がバノックバーンの戦い(Battle of Bannockburn)で戦死し、彼の領土は3人の妹へ平等に分与されたと書いてありました。その妹の一人がエリザベスだったという訳です。ギルバートは23歳の若さで亡くなり、子どもがいなかったんですね。それにしても23歳かぁ。若すぎる。。さてさて、小山を登ると残されているのはこれだけ。キープ(天守)の一部です。でもちょっと想像力が必要だわね。クレア城はのちに未亡人だったエリザベスの居住地として使用され、発展を遂げていたようですが、繫栄したのはその頃まで。彼女が65歳で亡くなると、その後城は王の手に渡り、16世紀には廃墟となりました。さらに1867年にはその敷地の一部が鉄道建設(現在は廃止)によって損なわれ、現在は公園広場として使用されています。
そんな訳で、足を伸ばさなければ知ることもなかったであろう小さな町の歴史ですけど、『モット・アンド・ベイリー』という形状から興味を持ったのもなんかのご縁。最初はまったく想像つかなかったお城だけど、ちょっとだけそこに昔の人の気配を感じました。
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