ウィリアム・マレ

ギヨーム2世(ウィリアム1世)の下、ヘイスティングズの戦い(Battle of Hastings)に参戦し、ノルマン・コンクエスト(The Norman Conquest of England)に貢献したとされる人物の一人、ウィリアム・マレ(William Malet; -1071)。読み方マレでいいのかな?私はこの人物が気になった。以前、アイ(Eye, Suffolk)という町へ行きました。実はここにも小さなモットー&ベイリーが残されています。上から見る景色はステキでしたが、ここのモットー&ベイリー自体はこじんまりして、ちょっと草に覆われてまして。。。この城は最初に誰が建てたんだろうと調べた時に、このウィリアム・マレ(以後、マレ)の名前が登場したのです。


マレは1068年にヨークシャー初のハイシェリフ(High Sheriff)に任命されています。ハイシェリフとは大貴族などに与えられた職で、行政、司法などを司る地方長官のこと。また、彼は新たにヨーク(York)に建設された城の守備隊司令官の一人でもあったようです。

ノルマン・コンクエスト以前のイングランドは、サクソン人やデーン人などが、それぞれ自分の領地を根拠地とし、勢力を張っていました。ウィリアム1世はそこにノルマンディーから持ち込んだ封建制を導入し、戦いで戦死した者たちの領土を没収して自分の騎士たちへ分け与え、シャイア(州;shire)にシェリフを置き、イングランド統一を進めたのです。

当時、マレが任務に就いたヨークは、バイキングの伝統と文化を併せ持つバイキングのまちでした。ウィリアム1世の侵略に不満を覚えた地元軍は、1069年に反乱を起こし、建設直後の2つの城を攻撃しています。城の1つは現在のヨーク・カッスル・ミュージアム(York Castle Museum)とクリフォード・タワー(Clifford's Tower)の場所にありました。その後、デンマーク王スウェイン(Swein King)が大きな船隊を引き連れてが到着すると、地元軍は勢いを増し、町を奪い、城を焼き、ノルマン人を虐殺。マレは妻と2人の子供たちと共に人質として拘束されました。最終的には、その後のウィリアム1世による復讐によって解放されています。

マレは殺されなかった。任務は失敗に終わったけど、イングランド北部での任務から次にノーフォークとサフォークのハイ・シェリフの役に就いている。大役です。失敗してもウィリアム1世から見放されなかった。それは王に対する忠誠心によるものだったのか、それともイングランドとのつながりがある人物として重宝されていたのか。。

というのも、彼の母親はサクソン人(English)、父親はノルマン人で、ノルマン・コンクエスト以前からハロルド王とつながりがあったと言われているのです。また、ゴディバ・チョコで有名なレディ・ゴディバともつながりがあったと言われています。つまり、マレはノルマンディーのウィリアム1世とイングランドのハロルド2世の両方に関係していたという事になります。彼はヘイスティングズの戦いで勝利した後、ハロルド王の埋葬を任されたのでは?とも言われている人物なのです。実際にどうだったのかは謎ですが、かなりの権力者だったことが伺えます。個人的には彼はどんなきっかけで、どんな思いでウィリアム1世側に立っていたのかが気になるところ。。。


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