ジュリアン・オブ・ノリッジ

日本では、平安時代に紫式部が『源氏物語』という日本最古の長編小説を書きました。その時代に、女性が教養ある内容の長文小説を書いたということを考えると、非常に驚かされますよね。私は与謝野晶子訳の『源氏物語』を読んだことがありますが、後半、薫の代の話になって「もうええゃ」と挫折した口です。もう少しで完読できたのにね。彼女の訳はちょいと難しいので、今更一から読み直す気にもなれず。。。

さて先日、テレビを見ていたら、イギリスで女性の手によって英語で書かれた最初の本とやらの番組をやっていて、ふと紫式部が頭をよぎった訳です。そして、その番組が意外と面白かった。その女性とはジュリアン・オブ・ノリッジ(Julian of Norwich; 1342-1413年頃)。彼女に関する情報は少ないらしく、名前も彼女が晩年過ごしたノリッジにあるジュリアン教会(Saint Julian)に由来するものだそうで、実際には本名すらわからないんですね。そんな彼女が30歳の時に、自らも死を覚悟するほどの大病を患った。奇跡的に回復した彼女は、隠修女(anchoress)として祈りに生涯を捧げ、ひっそりと教会の一室で修行することを決意するのです。そこで、彼女は死の淵で見たヴィジョンを書き残しました。それが女性の手によって最初に英語で書かれたと言われる『神の愛の十六の啓示(Sixteen Revelations of Divine Love)』というものだったのです。それは、オックスフォードで女性が学ぶことが許可された500年以上も前の話。英語を読むことが出来た男性は20%程度とされた時代。宗教的内容をしかも女性が書くことすらタブーな時代。当時、完成したものは非常に危険な書物でした。のちにヘンリー8世が教会や修道院の土地・財産を没収し、宗教改革を進め、沢山の貴重な書物が失われていきましたが、ジュリアンの書物は危険をすり抜けて、 秘密裏に人から人の手に渡り、広まり、生き残るのです。


その一部は、宗教改革によってイギリスでの修道生活が困難となり、フランスで修道院を設立しようと決意した9人の若い修道女(17-23歳位)たちの手によって、フランスへと海を渡りました。フランス北部カンブレー(Cambrai)の地で、それは複写・翻訳されたそうです。最終的には、フランス革命により全ては没収・喪失し、それらを守ろうとしたフランスの修道女たちは処刑。革命が終わり、ぎりぎり処刑をま逃れたイギリス人修道女たちは再びイギリスへ戻って来たそうです。

ジュリアンの書物はひっそりと陰を潜めたまま時は過ぎ、1901年、グレイス・ウォリック(Grace Warrick)というスコットランドに住む女性が、『神の愛の十六の啓示』の原本を求めブリティッシュ・ライブラリを訪れました。実際、ジュリアンの原本は行方不明のようですが、ハンス・スローンが残したコレクションの一つにそのコピーがありました。ルートは不明だそうですが、さすがはハンス君。彼女はそのコピーをブリティッシュ・ライブラリーで一週間かけて書き写したそうです。彼女は17世紀に男性の解釈で書かれたジュリアンの本を持っていたようですが、原本から現代英語に訳すことが彼女の目的であり、それが今の本の元となっているそうです。

金持ちだから出来ることがある。ハンス・スローンといい、グレイス・ウォリックと言い、彼らがいなかったら、彼らが行動を起こさなかったら、幻に終わっていたかもしれないジュリアン・オブ・ノリッジの思い。番組でその背景を知った時、偶然にしろ、必然にしろ、当時彼女が危険を冒して書いた作品が今でも残っていること自体すごいことなんだなーと改めて思ったのでした。因みにノリッチ大聖堂の入口左にはジュリアン・オブ・ノリッジの像があるそうで。かろうじて写真(上)に像らしきものは確認できるけど、行った当時はそういうストーリーがあるなんて知らなかったー。

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