ブディカ

ブディカ(Boudicca)とは、歴史の好きな方、あるいは『ライフ・イン・ザ・UK』テストの勉強をされた方ならご存知、むかーし昔ローマ軍に対し反乱を起こした女性の名前です。先日、ちょうどBBCで『Battlefield Britain - Boudicca's Revolt』という番組が放送されていたので見ちゃいました。

イギリスの歴史では、西暦43年、ローマ軍がブリテン島の大部分を制覇し、400年近くローマ帝国の支配下に置かれていた時代があります。その時に築かれた最古の町がキャミュロドゥヌム、現在のエセックスにあるコルチェスターです。そしてその北部、現在のノーフォーク地域を治めていた国王(プラスタグス)の妻がブディカ(生年不詳)でした。なーんだ、めっちゃ地元のお話じゃん?ってことで興味を持った私。

元々、ブディカの夫プラスタグスが支配する地域は、ローマ軍と同盟関係を結ぶことで独立した立場を保ち、ゆくゆくはローマ皇帝と二人の娘を共同統治者に立て、王国の平安を保とうとしていました。が、プラスタグスが死ぬと状況は一変。そーんな同盟の約束なんて王が死んだらもう無効やん。財産の継承権は男子に限るしね~ってことでローマ軍は領土や財産を奪い取り、重税を課し、人々を奴隷のように扱い、ローマ帝国の支配下に置いてしまうのです。可愛い娘たちは暴行され、自身も鞭打たれ、母ちゃんは怒ったぞーとなったブディカは、不満を募らせた多くの部族とともにローマ軍に対し反乱を起こすのです。

まず向かったのがキャミュロドゥヌム(現在のコルチェスター)。甘く見ていたローマ軍は大敗。次にロンディ二ウム(現在のロンドン)に向かい町を破壊、ウェルラミウム(現在のセント・オールバンズ)にも攻め入り破壊します。徐々に勢いを増したブディカ軍は約23万人にまで膨れ上がり、今度はワトリング街道(明確な位置は不明)でローマ軍と対峙するのです。圧倒的な人数だったにも関わらず、訓練されたローマ軍兵士、優れた戦術や武器には歯が立たず、今回は惨敗してしまいます。この戦いで、ローマ軍の犠牲者が400人程度だったのに対し、ブディカ軍の犠牲者は約8万人にも及んだとされています。

反乱の軌跡 (Source; Wikipedia)
赤;ブディカ軍/青; ローマ軍

ブディカは高貴な出身だったようです。大きな金製の装飾を身に着け、長身で、赤毛の長い髪をしたブディカは、とても知性あふれる女性だったとか。最後は敗北を察し、自ら毒を服して死を選んだとも、病死したとも言われています。ロンドンのウエストミンスター橋の近くに二人の娘と共にブディカの像があるんだって。今度見てみなくっちゃ。

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