ハンス・ホルバイン

先日、『オールド・ロンドン・ブリッジ(old London Bridge)』に関する記事を読んでいたら、あの興味をそそられる橋の上の住民として、ハンス・ホルバイン(Hans Holbein(der Jüngere); 1497/1498-1543)の名前がありました。ハンス・ホルバインは、南ドイツ・アウクスブルク生まれで、後にイングランドで活躍した画家です。当時の画家というのは、修行として各地に旅に出るのが常だったようで、彼もアウクスブルク(Augsburg, Germany)やバーゼル(Basel, Switzerland)などで、肖像画、宗教画、壁画だけでなく、木版画、彫刻、ステンドグラスなども多数手掛けて活躍したそうです。彼の父も同じく画家でしたが、その腕は父を超えていたとも言われています。

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彼はロッテルダムの有名な人文主義者デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus Roterodamus; 1466-1536)の肖像画を描いて評価され、彼の推薦でトマス・モア(Thomas More; 1478-1535)を頼りに仕事を求めてイギリスに渡りました。そして1536年には、イングランド王ヘンリー8世(Henry VIII)の宮廷画家となっています。それはアンブーリンの処刑だなんだと騒いでいる頃。幸い、王に気に入られた彼はヘンリー8世自身の肖像画をはじめ、宮廷関係者たちの肖像画を多数描いています。でも私が彼から連想する肖像画は、見合い写真ならぬ見合い肖像画があまりにも本人と違っていてヘンリー8世の不興を買ったとされるアン・オブ・クレーヴズの肖像画(下図)です。彼は額を高くし、おめめぱっちり、シャープなあごのアン・オブ・クレーヴズを描きました。ハンスはどんなプレッシャーを受け、どんな思いで描いていたのか気になるところですが。。。実物のアンは地味で実年齢より老けて見えたとも言われています。その結果、ハンスは宮廷画家の身分を剥奪、追放処分を受けることになったとか。


ハンスにはバーゼルに妻と子供がいたようですが、何せ旅をしてますから、愛人や愛人の子もいたようです。時にバーゼルに帰ったりと、常に妻と子供たちを支えつつ、ロンドンで単身生活。どのくらいの期間ロンドン・ブリッジの家の一つに住んでいたのかは分かりませんが、1541年にはアルドゲート(Aldgate)の聖アンドリュー・アンダーシャフト教会(St Andrew Undershaft)区に住んでいたことが知られているそうです。現在ガーキン(Gherkin; 30 St Mary Axe)が建ってる辺りです。ハンスは1543年に当時流行したペストによりロンドンにて45歳で亡くなっています。寂しいですね。彼はどこへ埋葬されたのか、墓の場所は不明だそうです

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