3人の生者と3人の死者。

世界がこういう状況に陥ると、どうしても考えてしまうのが生と死。もはや年齢も何も関係ない。自分がいつウィルスに感染しても、いつ死と直面してもおかしくない状況です。実際、もしかしたら自分が。。。と考えると時折恐怖に襲われます。スーパーへ行くのだってリスクゼロではない。そこで以前、色々調べて書いたのに、間違ってあっけなく消してしまった記事『3人の生者と3人の死者(The Three Living and the Three Dead)』について改めて書き直すことにしました。これは「死を忘れるな」、「いつか自分も必ず死ぬことを忘れるな」という中世時代の『メメント・モリ(memento mori)』の一つです。

『3人の生者と3人の死者』というのは、起源は定かではありませんが、13世紀頃の書物に遡る逸話・詩等で、それらを元に描かれた教会の壁画などが数多く残されています。ヨーロッパで確認されており、おそらくフランスからきたものではないかと考えられているそうです。物語の内容はいくつも存在するようですが、話の大筋はほぼ同じで、3人の若い貴族(例えば王子、伯爵、公爵)が狩猟に出掛けて道に迷い、腐敗した3人の死体(聖職者)に遭遇するという話です。死者は若者3人に悔い改めるように語り掛けるのです。「あなた方は自分たちの過去の姿であり、自分たちはあなた方の未来の姿であると。富、名誉、権力というものは死に何の価値ももたない。人生の今を大事にし、手遅れになる前に行動を改めなさい」と警告するのです。生と死は対照的に、そしてよく見ると3人の死者は腐敗していく過程の異なる状態で描かれ、また若者も、恐れや驚き、逃げる、立ち向うなど三人三様の異なる反応が描かれているようです。

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当時、人々の「死」というものはもっと身近で日常生活の一部でした。飢餓、環境、栄養、衛生、医療など、現代とは異なり死亡率も高く、保障もない。人間誰もがいつ死んでもおかしくない状況で一日一日を生きていた訳です。だから人々は薬草であるとか、信仰などに救いを求めました。このメメント・モリというのはもともとラテン語に由来する人生における戒め。「今を楽しみなさい、明日死ぬかも知れぬのだから」という警告のような、気持ちを引き締める意味があったそうです。キリスト教においては、死に思いを馳せることで、現世での贅沢や手柄などというものは意味もなく虚しいものということを強調する意味合いもあったのだとか。そしてペストなどの影響もあり14~18世紀にかけて、人間最後の休息地にこれらの文字やドクロなどのシンボルを刻むことが一般的となりました。やり場のない怒りや悲しみ、そして恐怖。それは明らかに当時の死に対する心理的な影響を物語っていると言えます。

この他にも『死の舞踏(the Dance of Death)』、あるいは『ダンス・マカブレ(The Danse Macabre)』と呼ばれるものがあります。『3人の生者と3人の死者』同様に生と死の対話があり、身分が異なりそれぞれの人生を生きていても、死ぬ時には皆平等、身分や貧富の差は関係ないという類似の死生観で描かれています。ただ、相違があるとすれば『3人の生者と3人の死者』では手遅れになる前に行動を改めよと警告しているのに対し、『死の舞踏』ではそういう警告がない。むしろ死の恐怖に取りつかれた人々が鐘の音と共に身分など関係なく皆一緒に半狂乱になって踊り続けている。それは当時の混乱を表しているように思えます。

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イギリス国内だけでも、コロナ感染で毎日毎日700人位の人が命を落としています。彼ら一人ひとりがどのような人生を送ってきたのかは知りません。知らないのにニュースを聞くたびにものすごく悲しく重苦しい気分になる。人間、こういう状況に置かれると自分の本当の姿だとか、本当に大切なものが見えてくると思うんです。だから悔い改めよとか、忘れかけられているこの中世の訓えも、今は理解できる気がします。今を楽しむ、今を大切に生きることが大事なのね。

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