アン・オブ・クレーヴズ

久々に歴史のお話。前回、薔薇戦争について触れたけれど、リチャード三世を打ち破り、イングランド王となったヘンリー・テューダー(ランカスター派)は、敵対したヨーク派のエリザベス・オブ・ヨーク(エドワード4世の娘。ロンドン塔で行方不明となった二人の王子のきょうだい)と結婚して、めでたしめでたし、長年続いた戦争に終止符が打たれました。そして、二人の間に生まれた子供のうちの一人がのちのヘンリー8世です。ヘンリー8世と言えば、自分の離婚を成立させるためにイングランド国教会をつくり、6度の結婚をしたことで有名ですね。
  1. キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon; 1487-1536)離婚。
  2. アン・ブーリン(Anne Boleyn;1507-1536)処刑。
  3. ジェーン・シーモア(Jane Seymour; 1509-1537)産後死亡。
  4. アン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves; 1515-1557)結婚6ヶ月後離婚。
  5. キャサリン・ハワード(Katherine Howard; 1521-1542)処刑。
  6. キャサリン・パー(Catherine Parr; 1512-1548)ヘンリーと死別。
ずらーっと並ぶヘンリー8世の結婚した相手の名前。処刑されたアン・ブーリンなどは有名ですが、今回私が注目したのは4番目に結婚したアン・オブ・クレーヴズ。見合い写真ならぬ見合い肖像画を見てアンを気に入ったヘンリー。ところが肖像画と実像にはギャップがあり、美化されて描かれていたためヘンリーが怒ったというエピソードが残っているそうです。彼女が綺麗に描いてーって依頼した訳ではないだろうけど、現代にも通じる話よね(笑)。アンが中年ヘンリーと結婚したのは24歳の時。彼女はドイツ語しか話せず、ヘンリーもほとんどドイツ語が話せなかったのだとか。



結婚から半年後、ヘンリーから『やっぱり離婚してー。』と言われ、『ええよ。』って承諾したアン(かなり噛み砕いて表現しています)。『へぇー、アンちゃん、物分りいいねぇ。助かるわぁ。』って実際思ったかどうかは知りませんけど、アン・オブ・クレーヴズは、『王の妹(The King's beloved sister)』という称号、所領、年金を受け取って、イングランドで悠々自適(?)な余生を送った女王なのです。

Source; Wikipdeia
『わたくし、愛人という立場は絶対に認めなくってよっ』という姿勢だったアン・ブーリンなんかに比べると、アン・オブ・クレーヴズにはちょっと親近感がわく。天然なのか、したたかなのか、単に従順で柔和だったのか、得した性格だったんだなぁ、きっと。ドロドロした時代の中でも平穏に暮らしたアン。彼女にとって離婚は賢い選択だったなって思う。

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