フューネラル・トレイン
アメリカのリンカーン大統領が暗殺され、イリノイ州まで遺体を運ぶにあたって列車が使用されたそうですが、イギリスにも葬儀列車というものがあったんだそうです。日本の霊柩車くらいしか知らなかった私は、イギリスの霊柩馬車でもびっくりしましたが、今回は、ロンドンにフューネラル・トレインがあったことを知りました。
ロンドンのウォータールーに、ロンドン・ネクロポリス・レイルウェイ・ステーション(London Necropolis railway station)という駅がありました。ネクロポリスとは、巨大な墓地・埋葬場所を意味します。ロンドン内の埋葬場所が手狭になったことから、サリーのブルックウッド(Brookwood, Surry)に新たに造られたブルックウッド墓地(Brookwood Cemetery)へ、遺体を運ぶ電車の出発駅として作られたのがこのロンドン・ネクロポリス・レイルウェイ・ステーションだったのです。
電車はファーストクラス、セカンドクラス、サードクラスに分かれていて、サービスが異なっていたようです。葬儀はパリシュの教会、あるいは駅構内の遺体安置場所(Chapelle Ardente)か待合室で済ませ、列車で棺を運んだ後は埋葬するだけだったようです。そのため電車は往路11.35 am(日曜日は11.20)発、50分掛けて墓地に到着した後、参列者は2.15 pm 発の電車で帰って来るというサービスだったようです。
この路線は1854年から1941年に掛けて利用されていましたが、1902年以降は需要がある場合のみの運行となり、その後は第二次世界大戦の空襲で大きなダメージを受け、継続を断念したようです。
参照;
ロンドンのウォータールーに、ロンドン・ネクロポリス・レイルウェイ・ステーション(London Necropolis railway station)という駅がありました。ネクロポリスとは、巨大な墓地・埋葬場所を意味します。ロンドン内の埋葬場所が手狭になったことから、サリーのブルックウッド(Brookwood, Surry)に新たに造られたブルックウッド墓地(Brookwood Cemetery)へ、遺体を運ぶ電車の出発駅として作られたのがこのロンドン・ネクロポリス・レイルウェイ・ステーションだったのです。
電車はファーストクラス、セカンドクラス、サードクラスに分かれていて、サービスが異なっていたようです。葬儀はパリシュの教会、あるいは駅構内の遺体安置場所(Chapelle Ardente)か待合室で済ませ、列車で棺を運んだ後は埋葬するだけだったようです。そのため電車は往路11.35 am(日曜日は11.20)発、50分掛けて墓地に到着した後、参列者は2.15 pm 発の電車で帰って来るというサービスだったようです。
この路線は1854年から1941年に掛けて利用されていましたが、1902年以降は需要がある場合のみの運行となり、その後は第二次世界大戦の空襲で大きなダメージを受け、継続を断念したようです。
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