絶世の美女。
クレオパトラに楊貴妃、そして小野小町。絶世の美女とは何をもってそう判断したのだろう?顔の黄金比?自分で鏡を見て、そもそも世の中不公平だなどと思ったりもする。でも自分には自分の良さがあるはず。誰かが彼らを見て綺麗と思ったのなら、それはそれでいいではないか。そもそもその基準は人それぞれなのだから。
中世の美しい女性というのは、もちろん僅かな情報に基づいた認識ですが、金色の髪に、輝く目、雪のように白い肌、真紅の唇、真珠のような歯だったそうです。伝説アーサー王の王妃となった「グィネヴィア(Guinevere)」や、トリスタンとイゾルデ(Tristan and Isolde)の「イゾルデ(Isolde)」はそのような美しい女性として描かれています。ちなみにグィネヴィアの名は、ケルト祖語で「白い妖精」を意味するそうです。イギリスの画家;ジョン・コリア(John Maler Collier, OBE RP ROI, 1850-1934)の描いたグィネヴィア(下)を見たとき、名前にふさわしい姿だなと思った。ちなみに裸で馬に乗った「ゴダイヴァ夫人(Lady Godiva)」を描いたのも彼。
Source; Wikipedia Queen Guinevre's Maying by John Collier |
Source; Wikipedia Isolde; La princesse Celte by Gaston Bussire(1911) |
Source; Wikipedia The Poetess Ono no Komachi, Suzuki Harunobu |
イギリスに来てすぐ、話の流れで日本で人気の美白クリームの話を友達にしかけて一瞬焦った覚えがあります。それまで全く意識せず、日本人感覚で使って過ごしてましたけど、「美白」という言葉は白い肌、白が美しいという認識なんですよね。なぜ焦ったかというと、友達が黒人女性だったからです。ホワイトニング(Whitening)という言い方はまずいなって思ったんです。差別や誤解を生むので、その時は上手く説明できませんでしたが、後になって「明るくて透明感のある肌」ということでブライトニング(Brightening)という言葉が使われていることを知りました。
そのように、人は「美しいもの」を好むけれど、その基準は国によっても異なるし、人それぞれ。美しい人はこの世にたくさんいるけれど、伝説に残るような「絶世の」、つまり世に並ぶものがないほど目立って美しいと称される女性は近年いなくなりましたね。世の中がグローバル化したことで美意識も多様化し、また、人々の生活水準が上がったことで、多くの人が美容に気を使い、当たり前のように化粧するようになった。外見だけで言えば、それだけ美しい人が増えたってことなのかも。
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