もーど。
毎週見ていたドラマ『ピラーズ・オブ・ディ・アース(The Pillars of the Earth)』が最終回を迎えました。原作が長編小説だっただけに、特に後半の駆け足感がちょっと残念でしたけど、ドラマだから仕方ないか。内容も少し変更してあったようですが、欲だとか嫉妬だとか愛情だとか大聖堂を取り巻く人々の思いが交差していて面白い作品でした。この物語の基盤にもなっている『ホワイトシップの遭難(The White Ship) 』は、1120年11月25日、フランスからイングランドへ向けイギリス海峡を航海中に実際に起こった海難事故で、イングランド王ヘンリー1世(King Henry I of England; 1068-1135)の世継ぎであったウィリアムと王の庶子2人、王族・貴族が多数水死し、生き残ったのは船員1人だったと言われています。小説では、これを陰謀による事故とし、生き残った船員の証言を交えた物語にしています。
ヘンリー1世には、20人以上の庶子がいたといいますが、マティルダ・オブ・スコットランド(Matilda of Scotland)との間に生まれたマティルダ(Matilda;1102-1167)とウィリアム(1103-1120)の2人のみが正式な嫡子でした。このウィリアムが海難事故で水死してしまった訳です。ウィリアムが亡くなったため、イギリスの王位継承権は疑わしいものになりました。ヘンリー1世は後妻を迎えるも男子は生まれず。そのため、娘のマティルダを王位継承者に指名したのです。モード(Maude)というのは娘マティルダの愛称で『モード女帝(Empress Matilda)』とも呼ばれています。(ややこしいので以降モード)。モードはドラマにも登場します。
モードは1114年に12歳で神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世(Heinrich V; 1086-1125)と結婚したそうですが、1125年にハインリヒ5世が癌で死去(39歳)したため未亡人となっています。モードが後継者に指名されたのはその頃。パパ、ヘンリー1世はモードの立場を強化するために、有力フランス貴族のアンジュー伯ジョフロワ4世(Geoffroy IV / V; 1113-1151)との再婚を持ちかけます。政略結婚です。モードはこの結婚に乗り気ではありませんでした。この時モード25歳位で、ジョフロワ君は10歳以上年下。当然ですよね。なんでこんなガキと結婚しなきゃなんないのよー(かなり噛み砕いて表現しています)。と、モードは相手がかなり年下であることに不満を抱いたようです。元夫は年上でしたしね。お互いに「嫌い」だったようですが、何だかんだと説得されて了承。1128年に結婚しました。ジョフロワ君はハンサムで陽気だった半面、冷酷で身勝手、そしてモードはイングランド王女、かつ神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の皇后だったため非常に気位の高い女性だったようだ。結婚後2人は距離を置いていたそうですが、好青年にでも成長したのか、後に和解し、1133年には長男アンリ(のちのイングランド王ヘンリー2世)を含むに3人の男児を儲けています。
実際、モードは『イングランドの女君主(The Lady of The English)』を名乗り、フランスからイングランドへ、ロンドン入城とともに戴冠して女王となるはずでした。ところが、スムーズに事は運ばず、ヘンリー1世の姉の息子スティーブンが強引にイングランド王となってしまうのです。それによりスティーブンとモード、つまりいとこ同士で王位を争うことになったのです。この時期、イングランド王国は内乱に明け暮れ、無政府時代(The Anarchy; 1135-1154)と言われています。詳細は省きますが、内戦は泥沼化。強力な支持者を失ったモードはフランスへ帰ることを余儀なくされ、1151年には夫も死去。一時は勢力を失うも、長男アンリの成長とともに、再び力を得はじめるのです。最終的に、生涯にわたりスティーヴンの王位を認めるかわりに、アンリがイングランド王位継承者となることを認めさせます。スティーヴンが死去し、約束通りアンリがヘンリー2世としてイングランド王に即位することで、内戦に終止符が打たれました。
当時の西ヨーロッパでは、継承ルールはまだ不確かだったようです。フランスの一部の地域では、長男がタイトルを継承するというのが一般的になりつつあり、フランス王が存命中に次の後継者を冠するのが伝統的で、意図された継承ラインを比較的明確にしていたそうです。一方、イングランドでは王の死後、相続財産やら王位をめぐり争いが絶えなかった。争うことなく平和に継承されることはほぼなかったようです。ましてやイングランド「初の女王」が誕生するとなれば、そのことに抵抗感を覚えたのでしょうね。
モードはフランスに留まったまま全てを見届けて、1167年にひっそりとこの世を去ったそうです。一度は掴みかけた王位の座。彼女がイングランド初の女王となっていたかもしれませんが戴冠することはなかったので、正統な君主として認められながらも歴代のイングランド王にはカウントされていません。でも息子が王位に就いたことを見届けているので、本人は本望だったんじゃないかな?
モードの死後、遺体はル・ベック=エルルワン(Le Bec-Hellouin)に埋葬され、のちにルーアン大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Rouen)へ移されているそうです。だいぶ前になりますが私ルーアンへ行ったことがあって、当時の写真を引っ張り出してみました。ルーアンといえば、百年戦争で活躍したジャンヌ・ダルクが処刑された地ということで知られています。だから当時は、そういう視点からルーアンの町を捉えていました。イギリスの歴史もモードのことも何も知りませんでしたが、また自分の中で歴史と訪れた場所とが繋がりました。ツアーだったので大聖堂の中には入りませんでしたが、この壮大なルーアン大聖堂を見たことを憶えています。
参照;
ヘンリー1世には、20人以上の庶子がいたといいますが、マティルダ・オブ・スコットランド(Matilda of Scotland)との間に生まれたマティルダ(Matilda;1102-1167)とウィリアム(1103-1120)の2人のみが正式な嫡子でした。このウィリアムが海難事故で水死してしまった訳です。ウィリアムが亡くなったため、イギリスの王位継承権は疑わしいものになりました。ヘンリー1世は後妻を迎えるも男子は生まれず。そのため、娘のマティルダを王位継承者に指名したのです。モード(Maude)というのは娘マティルダの愛称で『モード女帝(Empress Matilda)』とも呼ばれています。(ややこしいので以降モード)。モードはドラマにも登場します。
Source; Wikipedia By PurpleHz |
実際、モードは『イングランドの女君主(The Lady of The English)』を名乗り、フランスからイングランドへ、ロンドン入城とともに戴冠して女王となるはずでした。ところが、スムーズに事は運ばず、ヘンリー1世の姉の息子スティーブンが強引にイングランド王となってしまうのです。それによりスティーブンとモード、つまりいとこ同士で王位を争うことになったのです。この時期、イングランド王国は内乱に明け暮れ、無政府時代(The Anarchy; 1135-1154)と言われています。詳細は省きますが、内戦は泥沼化。強力な支持者を失ったモードはフランスへ帰ることを余儀なくされ、1151年には夫も死去。一時は勢力を失うも、長男アンリの成長とともに、再び力を得はじめるのです。最終的に、生涯にわたりスティーヴンの王位を認めるかわりに、アンリがイングランド王位継承者となることを認めさせます。スティーヴンが死去し、約束通りアンリがヘンリー2世としてイングランド王に即位することで、内戦に終止符が打たれました。
当時の西ヨーロッパでは、継承ルールはまだ不確かだったようです。フランスの一部の地域では、長男がタイトルを継承するというのが一般的になりつつあり、フランス王が存命中に次の後継者を冠するのが伝統的で、意図された継承ラインを比較的明確にしていたそうです。一方、イングランドでは王の死後、相続財産やら王位をめぐり争いが絶えなかった。争うことなく平和に継承されることはほぼなかったようです。ましてやイングランド「初の女王」が誕生するとなれば、そのことに抵抗感を覚えたのでしょうね。
モードはフランスに留まったまま全てを見届けて、1167年にひっそりとこの世を去ったそうです。一度は掴みかけた王位の座。彼女がイングランド初の女王となっていたかもしれませんが戴冠することはなかったので、正統な君主として認められながらも歴代のイングランド王にはカウントされていません。でも息子が王位に就いたことを見届けているので、本人は本望だったんじゃないかな?
モードの死後、遺体はル・ベック=エルルワン(Le Bec-Hellouin)に埋葬され、のちにルーアン大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Rouen)へ移されているそうです。だいぶ前になりますが私ルーアンへ行ったことがあって、当時の写真を引っ張り出してみました。ルーアンといえば、百年戦争で活躍したジャンヌ・ダルクが処刑された地ということで知られています。だから当時は、そういう視点からルーアンの町を捉えていました。イギリスの歴史もモードのことも何も知りませんでしたが、また自分の中で歴史と訪れた場所とが繋がりました。ツアーだったので大聖堂の中には入りませんでしたが、この壮大なルーアン大聖堂を見たことを憶えています。
- https://en.wikipedia.org/wiki/Empress_Matilda
- The book of Kings & Queens of Britain, G.S.P Freeman-Grenville, Wordsworth Editions
- I Never Knew that About Royal Britain, Christopher Winn, Ebury Press
- Gwynne's Kings and Queens, N.M. Gwynne, Ebury Press
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