王子は生きていた!?
ロンドン塔に幽閉され、その後消息を絶った2人の王子の話は有名ですよね。だいぶ以前になりますが、これらの王子についてさくっと書いた(エドワード5世)ことがあります。彼らはエドワード4世(Edward IV of England)と王妃エリザベス・ウッドヴィル(Elizabeth Woodville)の間に生まれた息子たちです。2012年9月、リチャード3世の遺骨がレスター市中心部の駐車場の地下から発見されたと話題になりましたが、そのリチャード三世の甥っ子*たちです。
2人の王子、お兄ちゃんのエドワード5世と弟リチャードはロンドン塔に幽閉された後、消息不明となった。『ロンドン年代記(1512年頃)』には、1484年の春には兄弟は既に殺されたという噂が市内に広く囁かれるようになったと記されてあるそうです。実際、一般的には暗殺されたと考えられています。誰に殺されたのか、リチャード3世、ヘンリー7世、あるいは他の人物なのか、諸説存在しています。私も本かドラマかドキュメンタリーだったか、男によって枕で窒息死させられたイメージがありました。1674年にロンドン塔の改修を行った際、子供の遺骨とみられる大小の頭蓋骨や骨片が入った木箱が発見されており、今はウェストミンスター寺院に安置されています。1933年、専門家によってその遺骨が鑑定されていますが、性別・年齢は特定されなかったんですよね。なので実際には、その遺骨が誰のものなのか、現在に至るまで何も証明されていない訳なのです。
さて、そんな王子の弟くんのほう、リチャード君は生きていたかもしれないよー、と生存の可能性を唱えた方がいます。それがデヴィッド・ボールドウィン氏(David Baldwin FRHistS; 1946-2016)。彼はイギリスの歴史家、レスター大学とノッティンガム大学の元大学講師で、15世紀後期の歴史を専門とし、薔薇戦争の人々と出来事についていくつか本を執筆されています。なかなか面白いなぁと思って、実は、その中の一冊、2007年の著書 『The Lost Prince: The Survival of Richard of York』を現在お取り寄せ中です。
ボールドウィン氏の説によると、2人の王子は殺されてはいなかったというのです。12歳の兄エドワードは自然死し、9歳の弟リチャードは生き残って、ボズワースの戦い(Battle of Bosworth)の元、密かに母親であるエリザベス・ウッドビルと一緒に暮らすことを許可されたとしています。そしてリチャードは1539年までコルチェスター(Colchester, Essex)のセント・ジョンズ修道院(St. John's Abbey)で煉瓦工として働いていたと論じています。そのリチャードは煉瓦工としては珍しく、ラテン語を読むことができたそうで、雇用主にはリチャード3世の嫡出子と伝えていたそうです(*リチャード3世の嫡出子説もあるが、ボールドウィン氏はエドワード4世の嫡出子と考えている)。教区の記録によると、このリチャードは1550年にケントのイーストウェル(Eastwell, Kent)で81歳で亡くなっています。このリチャードの墓は実在しているんです。そこには「リチャード・プランタジネットの墓と言われている」と書かれているそうです。ただ、名前は刻まれているものの、墓は1480年に亡くなったリチャードの雇用主の父(Sir Walter Moyle)の墓である可能性が高いとも言われています。つまり、現代の技術によって、そのリチャードが消息不明となった王子の一人かどうか、リチャード3世、あるいはエドワード4世の息子であるかどうかを判断できる可能性が秘められているということです。まぁ、教会側は発掘について許可していないようですけどね。
ボールドウィン氏が亡くなったのが2016年。つまり、リチャード3世の遺骨発見のニュース(2012年)はご存じだった訳ですね。彼は発見の25年以上前の1986年にリチャード3世の遺骨はレスターのグレイフライアーズで見つかると予測を立てていたそうです。彼の専門分野ですから、リチャード3世の遺骨発見はさぞ嬉しかったことでしょう。
さて、そんな謎に満ちた王子が生きていたかもしれないというお話。どんな流れでボールドウィン氏が仮説を立てたのか。あぁ、本が待ち遠しい。早く来ないかな。。。
参照;
- http://www.r3.org/on-line-library-text-essays/back-to-basics-for-newcomers/bastards-of-richard-iii/richard-of-eastwell/
- https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-kent-21366578
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