まさか~。

「まさか~」のまさかではなく、大虐殺を意味するマサカー(massacre)のお話なんですが、いつだったかテレビで、ウェイマス(Weymouth, Dorset)近郊のリッジウェイ・ヒル(Ridgeway Hill)という所で、2009年に発見された多数の骸骨に関する番組がありました。しかも、頭(51)は頭で片方に積み重なり、頭の切り取られた骨(54体)は骨で埋められていたという衝撃的なものでした。遺跡などの年代を測定する場合、放射性炭素年代測定(radiocarbon dating)という手法があるそうなのですが、その調査の結果、彼らはイギリスの歴史において最も激動の時代である980~1030年(AD)の間に死亡していることが明らかになったそうなのです。骨は全て男性。ほとんどが18~25歳で、中には10代前半~半ばの子どもや50歳以上も含まれていたのだとか。その頃、ドーセットは何度も何度もヴァイキングの攻撃を受けていたことから、当初はヴァイキングに虐殺されたアングロサクソン人のものだろうと考えられていたそうなんです。ところが歯を用いた検査の結果、彼らが子ども時代に寒い気候で過ごしていたことが明らかとなったそうです。また、彼らの上半身が特に発達していて、漕ぎ手の形状と一致していた。つまり、それらスカンジナビアからやって来たヴァイキングの骸骨であることが分かったというのです。
骨には戦いによる傷はなく、彼らは首を切られて殺された。しかも手を拘束されることなく、また、恐ろしいことに正面から斬首されたそうなんです。想像しただけでもゾッとする。ヴァイキングたちはただ単に獰猛なだけでなく、終焉を迎えたその時も、剣を構えた男を見据えられるほどに、勇敢で豪胆だったんですね。

実はエゼルレッド(Æthelred II; c.966-1016 )のこの時代というのは、絶えずデーン人の侵入があり、イングランドは常に苦しめられてきました。1002年にはイングランド全土でデーン人の殺害を命じた『聖ブライスの日の虐殺(St Brice's Day Massacre)』という事件がありました。この虐殺跡はオックスフォード(Oxford)でも発見されており、他にもロンドン(London)やブリストル(Bristol)、グロスター(Gloucester)でも行われたと考えられているそうです。リッジウェイ・ヒルのこれも、時代的におそらく『聖ブライスの虐殺』によるものと考えられているそうです。


Source; Wikipedia
Æthelred in an early thirteenth-century copy of the Abingdon Chronicle

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