プレッシー

かつて友人と制覇した全長約130kmにも及ぶ『エセックス・ウェイ(Essex Way)』のウォーキング。その途中でプレッシー(Pleshey, Essex)という小さな村を通り過ぎました。実はここにも、かつてモット&ベイリー(Motte-and-bailey)のプレッシー城(Pleshey Castle)が存在していたそうです。前にも触れましたが、『モット・アンド・ベイリー)』とは城の形態を示す言葉。土を掘って円形の堀を作り、その中央に掘った土で盛土して小山を築き、てっぺんにキープ(天守)を建てるというシンプルなものです。子どもたちが公園で砂を掘って山を作る。そんなイメージに近いです。モット&ベイリーは建物のない状態で残っていることも多いので、見た目だけで言うと、私はいつも日本の古墳を連想してしまいますけどね。
 
さて、プレッシーの村はウォーキングの通過地点だったので、ここが城跡ねと確認しただけでその時はささっと通り過ぎてしまいました。
 
 
ベンチの向こう側にはこーんなお濠があって、きっとその奥の盛土の上にお城があったのねと想像する程度。季節が夏だったこともあり、とにかく植物が鬱蒼と生い茂っていました。
 

気にはなったんですけど、案内板はこんなに汚れて文字もかすれて読めない状態。。。


でも後で調べてみたら上空写真がすごかった。上から見るとこーんな風になっていたんですね。私が見たのは住宅地側(真ん丸いモットの向こう側)から。プレッシーのモット&ベイリーは11世紀後半のもので、人工のモット(小山)としてはイングランド最大と言われているそうです。確かに今まで見たものと比べるとかなり大きいかも。橋が架かっているのが見えますけど、ここは私有地でイベントや特別予約を除いて、普段の一般公開はされていないようです。


Source; http://castlestudiestrust.org/Pleshey-Castle.html

ウィリアム一世(William the Conqueror)はノルマン・コンクエスト後、ヘイスティングズの戦いで戦闘指揮官の一人だったジェフリー・デ・マンデヴィル(Geoffrey de Mandeville)を労いプレッシーを与えたとされています。そしてそこに管理の本拠地として建てられたのがプレッシー城でした。初期の城は木製の柵と塔で構成されたモット&ベイリーだったそうですが、その城は1158年に解体されています。さらに、12世紀末に石造の城が建てられたそうですが、16世紀半ばには城が荒廃し、他の建築資材として使用するため1629年に解体されたのだとか。でも、石造の城があった時代はこーんなイメージだったんですね。

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