バンクサイド・シチュー

『バンクサイド・シチュー(Bankside Stews)』というから、アイリッシュ・シチュー(Irish stew)のような、とろとろ煮込んだバンクサイドの名物料理か?と思って調べてみたら、ここでいう『シチュー』は、ロンドンで最も悪評の高い売春宿に与えられた名前でした。。。

もともと、この『バンクサイド・シチュー』は、12世紀にウィンチェスター司教によって認可された公衆浴場(public bathhouses)でしたが、チューダー時代までに売春宿と化していたのです。この『シチュー』というのは、単にウィンチェスター司教が魚に餌付けをしていた池が「シチュー池」と呼ばれていたことから名付けられたと考えられていますが、浴場の湯を沸かすのにストーブが使われていたことから、フランス語でストーブを意味する「Estuwes」に由来するという説もあるようです。

12世紀、テムズ川の南岸のサザーク教区、現在のクリンク・ストリート(Clink Street)にウィンチェスター司教が所有する「ウィンチェスター宮殿(Winchester Palace)」がありました。この宮殿は王室や行政業務でロンドンに滞在する際に、司教が快適に過ごせるようにと建てられものです。宮殿は庭園、テニスコート、ボーリング場などで構成されていて、敷地内には他に刑務所、醸造所、肉屋も含まれていたといいます。現在、この通り沿いにクリンク・プリズン・ミュージアム(The Clink Prison Museum)があります。

Source; Wikipedia
Winchester Palace, 1660 drawing by Wenceslas Hollar

Source; https://www.british-history.ac.uk
Reconstructed plan of Winchester Palace as it was in 1649

宮殿は長屋と倉庫に分かれ、17世紀まで使用されていましたが、1814年に発生した火災でほとんどが破壊されてしまったそうです。下の絵は火災後を描いたもので、中央にある大ホール跡は今でも目にすることができます。

Source; https://www.british-history.ac.uk/
Winchester Palace after the fire of 1814



こちらがだいぶ前に撮影した大ホールの一部。大ホールは1136年頃に建てられたと考えられています。ホールの切妻壁には、食料貯蔵室(buttery and pantry)や台所につながったドアがあり、その上には壮大なローズ・ウィンドウ(Rose Winndow)がありました。




さて、話がそれましたが『バンクサイド・シチュー』は、そんなバンクサイドの一角に存在した公衆浴場ならぬ売春宿のことだったんですね。1506年、ヘンリー7世は梅毒で苦しむ人々が増えたことから『シチュー』の閉鎖を命じましたが、その時は短期間閉鎖されただけで、すぐに営業再開となりました。さらに1546年、梅毒が増加し続けたため、ヘンリー8世が売春宿を違法とする法律を可決し、『シチュー』は閉鎖されました。でも実際には、禁止は実際にはほとんど効果がなかったようで、酒屋を装ったり、目立たない場所に移したりして存続し続けたみたいです。まぁ、そういうのって想像に難しくないですけどね。。。

Source; https://www.medievalists.net
prostitution

参照;
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Winchester_Palace
  • https://www.english-heritage.org.uk/visit/places/winchester-palace/history/
  • http://www.planetslade.com/
  • https://www.tudornation.com/the-stews/
  • https://www.british-history.ac.uk/survey-london/vol22/plate-46
  • https://www.medievalists.net

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