謎の十字架。

2003年にMOLA(Museum of London Archaeology)の考古学者が、エセックスのサウスエンド・オン・シー(Southend-on-Sea)近くにあるプリトルウェル(Prittlewell)の小さな土地を発掘しました。道路拡幅プロジェクトの最中に偶然発見されたこの場所は、ここ数十年における偉大な発見の一つと称賛されました。そこには手つかずのアングロ・サクソンの墓があったのです。手つかずといっても、エジプトの古墳のように完全な埋葬室空間が残っていた訳ではありません。発掘調査の結果、埋葬室は4mx4mの正方形の部屋で、木製の壁や天井が崩壊するにつれ、次第に崩れて土に埋もれていったことが明らかとなりました。それでもこの発掘が1939年に発見されたサットン・フー(Sutton Hoo)の船埋葬、あるいは1922年に発見されたツタンカーメンの墓と比較されるのは、その埋葬品の質にあります。埋葬室内からは、象眼細工で飾られたアングロ・サクソンのハンギング・ボウル、折りたたみスツール、剣や竪琴などが発見されています。竪琴はライアー(lyre)と呼ばれる弦楽器で、木製フレームはほぼ完全に崩壊していましたが、土壌に残されたライアーの形と、そこにこびりついた金属の付属品、木材の破片が見つかったそうです。付属品についていたガーネットはインド亜大陸またはスリランカのいずれかよりもたらされたことも明らかとなりました。ライアーの存在は、この人物の伝統や娯楽への志向を示唆しているといいます。また、シリアからのフラゴン(Flagon;ビールやワインなどを入れる大きな瓶)やメロヴィング・フランスの金貨は、彼の世界とのつながりを示すもの。コールドロン(cauldron;大釜)と獣角で作られた角杯は、宴の主催に慣れた人物であることを物語っているといいます。

この土地が酸性土壌だったおかげで、埋葬されていた体の骨などは完全に溶けており、残されていた歯のエナメル質の断片は虫歯の影響を受けすぎて、身元に関する手がかりを提供するようなデータやDNA分析は得られなかったそうです。それでも棺の大きさ、棺の中のアイテムの位置、埋葬品の武器の存在などから、棺に眠っていたのは身長173cmの若い男性ということが分かりました。おそらくチュニックの上からベルトで締めていたであろう手付かずの金のバックルは、シンプルなデザインでありながらサットン・フーで発掘されたバックルの形に類似しており、高い地位の人物であることを示していました。また両手の位置にはそれぞれ1枚づつ持っていたと思われる金貨(Merovingian France)が見つかっているそうです。そして何よりも注目されたのが両目の上に一つづつ置かれていたと考えられる金フォイル製の十字架だったのです。これは彼がキリスト教徒だったことを示すもので、考古学者は墓品の中にキリスト教の十字架が存在することから、紀元前7世紀初めから中頃のものと考え、地元エセックスのアングロ・サクソン王の墓であるかもしれないと推測しました。



Source; https://www.archaeology.co.uk/

少なくともキリスト教は3世紀からローマ帝国下のイングランドに存在し、商人、移民、軍団によってもたらされたそうですが、おそらくはミトラ教(ミトレーアムさまよえる人参照)に従っていたと考えられています。7世紀には異教徒であったアングロ・サクソン人は、主にローマから派遣された宣教師によってキリスト教に改宗したそうです。

そこで当初は、そこに埋葬されている人物が、616年に死亡し、その地で最初にキリスト教へ改宗したとされているエセックス王セイバート(Sæberht of Essex *発音が定かではないのでここでは仮にセイバートとする)、あるいは653年に殺害された彼の孫(Sigeberth II of Essex)の名が候補にあがったそうです。長い間、セイバートの墓は不明でしたが、彼とその妻が604年にロンドンに修道院を建設し、それが後にウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)の敷地となり、そこの教会に埋葬されたという伝説が残されているそうですが、疑問視する学者もおり、未だ謎のまま。そして今回、困難と思われていた放射性炭素年代測定(carbon-dating techniques)に成功し、その科学的年代推定により、プリトルウェルの墓は西暦575~605年頃に建てられたものであることが明らかになったのです。つまり、少なくともセイバートの死より早いことから、彼の墓ではないことが判明しました。そして、何より彼以前にそこに「キリスト教」が伝わっていたことが明らかとなったのです。現在、一つの可能性として考えられているのが、セイバートの弟(Saexa)だそうですが、あくまでも憶測にすぎず、未だ正体は明らかになっていません。埋葬品の内容から王族との強い見方がありますが、記録のない裕福な有力者の誰かである可能性もまだ残されているようです。

Source; Wikipedia
Sæberht of Essex
John Speed's Saxon Heptarchy map, from his Theatre.

私は考古学に詳しくありませんが、こうやって発掘されたものから、パズルのように実態が分かっていく過程は凄くワクワクしますね。初めてプリトルウェルのこのニュースを知ったとき、両目の上にそれぞれ金の十字架が置かれていたということがなぜか衝撃的でした。今までそんな話は聞いたことないし、キリスト教徒であったという以外で、そうすることに何か意味があったのかなと思って興味をそそられました。

アングロ・サクソンの工芸品や芸術、古代楽器や木工、工学、土壌科学、科学年代測定など様々な専門家で構成されたグループにより、プリトルウェルの埋葬室とその遺物の詳細な研究が行われ、現在、当時の埋葬状態を見ることのできるオンライン・チェンバーが立ち上げられています。興味のある方はこちらから埋葬室の状態を見ることができます。面白いです。プリトルウェルの埋葬品は、サウスエンド・セントラル博物館(Southend Central Museum)で常設展示されているようなので、コロナが収まり、安全になったらいつか見に行こうと思ってます。

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