検索に移動イングランド王ヘンリー8世(King Henry VIII)にはアン・ブーリン(Anne Boleyn; c.1501-1536)と結婚する前に、お気に入りの妾がいた。そりゃいたでしょうね。そのうちの一人がエリザベス・ブラント(Elizabeth Blount; 1500年頃?-1539/1540)という女性。一般にはベッシー・ブラント(Bessie Blount)の呼び名でも知られているらしい。 彼女はシュロップシャーのキンレット(Kinlet, Shropshire)という小さな村で生まれ、パパは地主で王家に忠誠心の篤い人物だったそうだ。彼女は美人と評判で、王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女として宮廷に入っている。肖像画が残っていないのがちょっと残念。そして、その美貌が王の目に付き関係をもった。それも約8年も続いたと言われています。そして生まれたのがヘンリー・フィッツロイ君(Henry FitzRoy, 1st Duke of Richmond and Somerset, 1519-1536)。エセックスの田舎にある小さな村ブラックモア(Blackmore, Essex)で生まれたとも言われています。以前ウォーキングでこの村を歩いたことがあります。
ここにヘンリー8世の隠れ家があったとされているんですね。隠れ家はあったようですが、実際にヘンリー・フィッツロイ君がこの村で生まれたという説はちょっと怪しい。ヘンリー8世はあれほど男子が産まれず気をもんでいましたけど、陰ではちゃんと男子が産まれていたんですね。とは言え妾の子。彼女を側室扱いすることはありませんでした。ベッシー・ブラントは出産後ヘンリー8世との関係を解消し、宮廷を離れているそうです。
Source; Wikipedia
Henry Fitzroy By Lucas Horenbout
http://www.marileecody.com/newpics.html (direct link), Public Domain,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2910153
さて、このヘンリー・フィッツロイ君、どのように育ったのかは分かりませんが、1533年に14歳で第3代ノーフォーク公トーマス・ハワードの娘メアリー・ハワードと婚約するんです。でも、お互い若いってことで一緒に住むことはなく、子孫を残さず肺結核により17歳という若さで亡くなっています。彼の遺体は、エド・シーランのミュージック・ビデオでも話題になったフラムリンガムの町(Framlingham)にある教会(St Michael's)に眠っています。ちょうど数年前にこの教会へ行ったのですが、木製の天井が印象的だったのを憶えています。
ヘンリー・フィッツロイ君はヘンリー8世が唯一庶子として認知した子ども。王位継承権こそありませんでしたが優遇されたんですね。その証拠に彼の苗字『フィッツロイ(FitzRoy)』とはアングロ・ノルマン語で「王の息子」を意味するのです。フラムリンガムに埋葬されたところをみると、葬儀はノーフォーク公に任されたって感じですね。下は、フラムリンガムの教会内にあるヘンリー・フィッツロイの墓。こんなに立派なお墓です。妻になるはずだったメアリーも1557年に亡くなった後、ここに埋葬されているそうです。
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