海に沈んだ伝説の王国;カントレル・グワエロド
海に沈んだとされるウェールズの『ティノ・ヘリグ(Tyno Helig)』を調べていたら、同様に海に沈んだという王国を見つけました。それが『カントレル・グワエロド(Cantre’rGwaelod)』という王国です。ウェールズ語の『カントレル・グワエロド』とは、英語で「ローランド・ハンドレッド(lowland hundred)」という意味(cant=hundred)があるそうです。ローランドは「低地」、ハンドレッドというのは、前にも出くわしたことがある言葉なのですが、ウェールズに限らず、イングランドやその他の国でもかつて使用されていた行政区画単位(分割システム)で、オックスフォード英語辞典(OED)によれば、その起源は「非常にあいまい」と説明されていますが、古代ウェールズでは事実上、方言間の境界を示すことが多く、もともとそれ自体が王国だったと言われています。
さて、この『カントレル・グワエロド』は、現在のウェールズ、アべリストウィス(Aberystwyth)近くのカーディガン湾(Cardigan Bay)に広がっていた豊かで肥沃な土地とされる伝説の古代王国です。低地であったことから防潮堤で保護されており、干潮時には水門が開かれて海水を海へと放出し、満潮時には陸への浸水を防ぐために水門が閉じられ、水門の開閉は国の安全にとって必要不可欠、非常に重要な役割を果たしていたと言われています。ところが、伝説によれば人間の怠慢や愚かさにより氾濫を招いたとされているのです。「ウェールズのアトランティス」とも呼ばれ、そこはグウィドノ・ガランヒル(Gwyddno Garanhir)という国王が統治する16の都市があったと言われています。この国王はウェールズにおける伝説の吟遊詩人タリエシン(Taliesin)の養父、エルフィン・アプ・グウィドノ(Elffin ap Gwyddno)の父と言われているようです。ここではタリエシンの話はさておき、伝説によれば、国王の友人で毎晩水門を閉めるという最も重要な役割を担ったセイテニン(Seithennin)が、ある夜、宮殿でのパーティーに呼ばれ、ごちそうを食べ、たくさんのビールとワインを飲んで酔っ払い、うっかり水門を閉め忘れてしまった。それにより、カントレル・グワエロドはすぐに洪水に見舞われ、人々は丘に逃げたものの、後に貧しい生活を余儀なくされたという物語です。物語はいたってシンプル、それ以上のお話はありません。
伝説にはいくつかのバージョンがあります。最も古い伝説では、メレイド(Mererid)という井戸の乙女(妖精?)が義務を怠り水を溢れさせ、土地を水浸しにしたというもので、この物語はアーサー王と魔術師マーリンの物語と共に、最も古いウェールズ語で記された『カーマーゼンの黒本(Llyfr Du Caerfyrddin/ Black Book of Carmarthen)』に最初に記録(1250年)にされているそうです。ちなみに黒本とは装丁の色にちなんで名付けられたもの。この他にも、女たらしで大酒飲みのセイテニン(ここでは他の王)が門の番人であった美しいメレリッド(Mererid)という乙女を誘惑し、一緒に過ごして義務を怠っている間に嵐が吹き荒れ、海水が水門を流れて低地が氾濫したという物語もあります。いずれにしても、義務を怠ったことで洪水を招いたという内容は一致していますね。
実際、17,000~7,000年前には、北ヨーロッパと北アメリカの大きな氷河の塊が溶けて洪水が発生し、海面が100m以上上昇しており、それまで人々が生活していた土地は水中に沈み、地形が変形したと言われています。そのため、このような洪水・氾濫などを特徴とする伝説の多くは、最終氷河期以降の土地形成の劇的な変化について言及しているものと考えられているそうです。伝説が必ずしも真実とは限りませんし、こちらも王国についての核心的な物的証拠はないそうですが、カーディガン湾沖には干潮時になると、かつて森林が広がっていたことが想像できるような、森の残骸である木の化石が見られるなど、地形的特徴が伝説に関連していることから、実在していた可能性もあります。
以前、サフォークにある『ダニッジ(Dunwich, Suffolk)』でもあったのですが、このように海底に沈んだという伝説の多くに共通するのが、静かな日の、特に日曜日の朝に「海の下から教会の鐘が鳴るのが聞こえる」と言われていることです。面白いですね。
参照;
- Wikipedia
- The Local History Companion, Stephen Friar, Sutton Publishing
- BBC - Wales History: The legend of Cantre'r Gwaelod
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