マーメイドの腰掛け。

『マーメイド(Mermaid)』とは、人間と魚の特徴を併せ持ち、水域に棲む伝説の生物とされていますよね。古い話で言えば、古代シリアの神話に登場する豊穣の女神「アタルガティス(Atargatis)」の姿は、上半身が人間、下半身は魚とされています。おそらく最も有名なのは、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen;1805-1875)が書いた童話『人魚姫(The Little Mermaid)』でしょう。アンデルセンゆかりの地という事なのかな?デンマークのコペンハーゲンにはこの童話をモチーフにした人魚姫のブロンズ像があるようです。そういえば学生の頃、友達に映画のチケットがあるからと誘われて、映画館へディズニー映画『リトル・マーメイド(The Little Mermaid; 1989)』を見に行ったのを思い出しました。

確か、日本にも人魚のミイラなるものが存在していたように記憶しています。真意は分からないけど、これほどまでに同様の生物に関するお話が世界各地に散らばっているのはとても面白いなと思うのです。調べてみたら、イギリスにもマーメイドの物語が結構あるんですね。しかも面白いのが海岸だけじゃなくて内陸にもマーメイドの話があるということ。そして民間伝承と絡み合い、無数の名称で残されているようです。例えば淡水人魚は、スコットランドでは「シースグ(ceasg)」、マン島では「ベン ヴェリー(ben-varrey)」、オークニー諸島やシェトランド諸島などでは、陸上では人間の姿、水中ではアザラシになる人魚は「セルキー(selkies)」と呼ばれています。アザラシというのは面白いですけど、アザラシの脂肪は冷たい海水に適しているということでなんとなく納得してしまう。アメリカ大陸を発見したと言われたクリストファー・コロンバス(Christopher Columbus; 1451?-1506)は、1493年の航海中に「人魚を目撃したけど絵に描かれているほど美しくなかったんだよねー」と言及したことから、マナティやジュゴンなんぞと見間違えたのではないかと言われていますよね。調べていて気付いたことは、イギリスにおけるマーメイドの物語はスコットランドやイングランドのコーンウォール地方にかけて多く残されており、魔女や呪いなどと入り交ざった内容のものもあるということです。深堀したらなかなか面白いなと思えるお話もあったので、これらは後日、別に紹介したいと思います。

今回はコーンウォール、ゼノア(Zennor, Cornwall)の村に伝わるマーメイドのお話です。これは『ミステリアス・ブリテン』という本に下の写真の椅子が紹介されていたのと、以前購入した本に、この村に関連したマーメイドの物語が載っていたことが調べるきっかけとなりました。

Source; August Schwerdfeger,
 CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, 
via Wikimedia Commons

まず、ゼノアの村はどこにあるかというと、ランズエンドまでは行きませんが、左下の端の方(下地図参照)です。「Z」で始まる地名はなかなか珍しいです。「Z」で始まる地名はイギリスに7つしかなかったと記憶しています。ゼノアの地名は地元の聖人、セント・セナラ(Saint Senara)のコーンウォール語の名前に由来しているそうです。


学者(Nicholas Orme氏)によれば、セント・セナラについて歴史的記録はないそうですが、伝説では元々彼女はアセノラ(Asenora)として知られたブレスト(Brest, France)出身のブルターニュの王女だったと言われています。地図(上)で見るとゼノアの下、海を挟んでフランスに「Brest」の文字が見えますね。彼女はブルターニュの王と結婚したものの、王から不倫の疑いを掛けられ、酷いことに、妊娠中にもかかわらず樽に入れられて海に投げ込まれたとされています。ここでは子どもの話はさておき、こうして彼女はコーンウォールの海岸に打ち上げられたのです。

ゼノアの村にあるセント・セナラ教会には、今でもマーメイドの腰掛け(The Mermaid's Chair)として知られる短い木製のベンチ(写真上)があるそうで、その側面には長く流れる髪と魚の尾をもち、片手に鏡、もう片方の手には櫛を持ったマーメイドの姿が刻まれています。このベンチ自体は15世紀頃に作られたと言われており、1400年以上前にセント・セナラが海からここへやって来てゼノアに最初の教会を設立していることから、同様に海からやってきたとされる愛と美と性の女神;アフロディテ(Aphrodita;ギリシャ神話)をシンボルにしていると言われています。マーメイドの壁画のある教会がいくつか存在しますが、実はマーメイドとイエス・キリストには共通点があるんですね。それは、キリストは人間であり神であったように、マーメイドも魚であり人間であるという二重の性質を持っているということです。中世時代には、イエス・キリストの生誕・受難・復活の物語を主題とした奇跡劇が流行したそうですが、コーンウォール地方ではそんな奇跡劇でもマーメイドを用いてキリストの二重の性質を表現するのが一般的だったようです。一見、何の関係もないように思えますが、マーメイドと教会にはそういった繋がりがあったんですね。

さて、ゼノアの村に伝わるマーメイドのお話はというと、村にマーシー・トレウェラ(Matthew Trewhella)と呼ばれる若い聖歌隊員がいました。彼はハンサムなだけでなく美しい声の持ち主で、彼の歌声は人々を魅了しました。ペンダー コーブ(Pendour Cove)の入江に住むマーメイドも彼の歌に魅了され、ドレスを着て聖歌隊の練習を聞きに定期的に教会へ姿を現すようになりました。ある日、マシューは彼女の不思議な眼差しにとらわれ、恋に落ちました。そこから一緒にペンダーコーブへと向かい、それ以来、2人は2度と村へ戻ってこなかったという事です。マーメイドが男性を誘惑して海へ引きずり込み死に誘ったのでしょうか?この話には続きがあります。

Source; Wikipedia
The Mermaid of Zennor,
by John Reinhard Weguelin(1900)

数年後、船が沖合で錨を下ろしていると、人魚が現れ漁師に錨が家の入口にあり、夫と子供たちの元へ戻ることができないと訴えたと伝えられています。漁師がマーメイドを目撃したことにより、マシューは彼女のために人生を捨てることをいとわず、マーメイドと共に、2人の間に生まれた子どもたちと一緒に幸せに暮らしているのだと言われるようになりました。今でも夏の晴れた日の夕方に、ペンダーコーブ(現在マーメイドの入り江と呼ばれている)の上に座ると、波の下から恋人たちの美しい歌声が聞こえてくると言われています。

ゼノアに伝わるこのマーメイドの伝説は、おそらくこのベンチの彫刻に触発されて生まれたものだろうと一般的には言われています。それでも、ゼノアの若者たちへ魔女に対する注意喚起の意を込めて作られたであるとか、逆にマーシー・トレウェラという男性を記念して作られたとも言われているようです。

因みに、教会の向かいにあるパブ(Tinner’s Arms)は、かつて教会を建てた石工職人を収容するために1271年に建てられたと言われているそうですが、イングリッシュ・ヘリテイジは「いやいや、18世紀初頭に建てられたもので、19~20世紀に拡張したものでしょう」と考えており、建物の年代について意見の相違があるようです。。。

参照;

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