イングランドのアトランティス

『アトランティス(古代ギリシア語: Ατλαντίς)』とは、古代ギリシアの哲学者プラトン(Plato)が著書『ティマイオス(Timaeus)』と『クリティアス(Critias)』の中で語った伝説上の広大な島と、そこで高度な文明を持ち繁栄したとされる帝国を指します。アトランティスはプラトンの時代の9000年前に海中に没したとされており、本当に実在したのかどうかは謎に包まれたまま。伝説上の島なのです。

Source; Wikipedia
Athanasius Kircher's Atlantis

実は、イギリスにも『イングランドのアトランティス(England's Atlantis)』と呼ばれる場所があります。それはサフォークにある『ダニッジ(Dunwich, Suffolk)』という今も存在する村です。現存するのになぜ『イングランドのアトランティス』なのかというと、高潮と大嵐による浸食により、過去にその大半が失われてしまった場所だからです。

ダニッジはアングロ・サクソン時代(411~1065)、大きな国際貿易港のあるイースト・アングリアの首都として栄え、イングランドでも大都市の一つと捉えられていました。それは14世紀のロンドンに匹敵したといいます。多い時で5,000人以上もの人々が生活し、主に海からの貿易と漁業で潤っていました。ところが、1066年から1086年の間に沿岸侵食により、まず農地の半分以上が姿を消してしまったのです。そのことはドゥーズムデーブックにも記録されており、1086年のドゥーズムデーブックでは、当時の推定人口は3,000人、3つの教会を所有しているとされているそうです。さらに1286年には高潮がイースト・アングリアの海岸を襲い、1287年には大嵐が続いたと言います。それらにより、貿易と漁港としての経済的原動力を失い、収益は減少、人々は遠ざかっていきました。それだけにとどまらず、1328年と1347年には嵐で約400軒もの建物が波の犠牲となりました。そして1362年1月には『グロート・マドレンケ(Grote Mandrenke)』と呼ばれたサイクロンに襲われます。これはイギリス諸島、オランダ、ドイツ北部、デンマークを襲い、少なくとも25,000人の死者を出した、新月と一致し激しい熱帯低気圧だったと言われています。聖マルケッルスの祝宴の日である1月16日にピークを迎えたことから『第二の聖マルケッラス洪水(Saint Marcellus's flood)』とも呼ばれているようです。この北海の巨大な高潮はダニッジを一掃しました。こうして、13世紀に8つあったとされる教会は全て失われ、1602年までにダニッジの町は元のサイズの1/4にまで縮小してしまったのです。下の地図で右からピンクが1300年、グリーンが1450年、紫が1587年、左が現在の海岸線を示しています。まさに中心部がそのまま失われてしまった感じですが、それ以前にも多くの被害があったことを考えると、いかに大きな都市だったかが想像できます。

Source; https://flickeringlamps.com

ダニッジは、もともと『Domnoc』と言う地名で記録が残されています。ケルト語で「深い(deep)」を意味する『Dubno-(ウェールズ語のDwfn)』から派生した名前で「深い海の港」であることを意味していると言います。語尾は古英語で「町や港」を意味する『-wic』が追加された形態です。おそらく、失われてしまったアングロ・サクソンの地名「ドモック(Dommoc)」に関係していると考えられていますが、詳しいことは不明のまま。学者の多くは、おそらくローマ時代、ダニッジは沿岸の砦があった場所で、アングロ・サクソン人の居住地であったと考えています。元の都市規模は不明ですが、町で造船が行われていたこと、大きなギルドホールがあったこと、教区の中心と考えられるイースト・アングリアの「司教の座」が初めて置かれたこと、さらに、マーケットとミント(造幣局)に関して国王から特許上(Royal Charters) を受け取っていることから、重要な位置付けにあったことが伺えます。

海底から失われた都市の破片が最初に発見されたのは1970年代。サフォーク沖では、今でも古代の沈没した都市の画像を構築するため、最新の音波探知機、水中カメラ、スキャン機器等を駆使した海底調査が行われており、その内容はダニッジ博物館(Dunwich Museum)で展示されているそうです。この調査からも、ダニッジはかなり立派な港を有していたことが明らかになっているそうです。残念ながらサフォーク沖をダイビングしても、沈没した都市が見れる訳でないそうで、本当に失われてしまっているようです。

このようにして、町はほとんど放棄されるようになり、沿岸侵食は徐々に町へと侵入していきました。19世紀半ばまでに人口は237人にまで減少し、ダニッジは「腐敗し、崩壊した自治区」とさえ言われていたそうです。2001年の国勢調査では人口は84人、2011年には183人へと増加したものの、かつての栄えた都市は想像もつかないほど消え失せ、今は村として位置付けられているのです。

実際、ダニッチに限らず、イースト・アングリアの海岸線は、今も深刻な浸食問題に直面しています。例えば、もともと「古い砦(old fort)」を意味したオールドブラ(Aldeburgh, Suffolk)も、地名の由来となった砦はもう既に海の底へ沈んでおり、現在、海岸沿いに建つムート・ホール(写真下;The Moot Hall)も、かつては町の中心部に建っていたと言います。それだけ町は浸食されているのです。


ウォルトン・オン・ザ・ネイズ(Walton-on-the-Naze, Essex)も、海岸線の浸食は目に見える形で存在していました。


今でも、ダニッジでは、ある特定の高潮になると、波の下から教会の鐘の音が聞こえるという伝説が残されているのだとか。また、濃霧は悲しみ死んでいった村人たちの行き場を失った霊とされ、海から立ち上がり、暖かい居場所を求めて陸に忍び寄り、いたずらをして悲劇を引き起こす考えられていました。そのため、悪い霊でいっぱいの濃霧になると、良い霊が警告の鐘を鳴らすと言われているそうです。鐘が鳴ると人々は家の中にとどまり、霊を締め出すためにドアや窓を塞いだという伝説が残されているようです。確かに、霧に包まれると辺りは独特の雰囲気に包まれますよね。史実と悲劇が重なってそういう伝説が生まれたのかもしれません。

参照;

  • http://www.dunwich.org.uk/
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Dunwich
  • https://www.dunwichmuseum.org.uk/
  • https://flickeringlamps.com/2016/06/12/the-last-ruins-of-dunwich-suffolks-lost-medieval-town/
  • https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-suffolk-35549952
  • http://myths.e2bn.org/mythsandlegends/textonly6-restless-spirits-and-ringing-bells.html
  • The lost villages of England, Leigh Driver, photography by Stephen Whitehorn, New Holland
  • Lost Britain, David Long, Michael O'Mara Books  limited 
  • East Anglia, Ron Talbot & Robin Whiteman, Country series

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