禁断の森。
国土面積の約2/3が森林という日本。古くから日本の人々は自然を尊び、また、その大きな自然の力を怖れ敬い、あらゆるものに神が宿ると考えてきました。それが「八百万の神(やおよろずのかみ)」と言われる多種多様な神さまです。山岳信仰では、山や森は神が宿ったり降臨する場所として、この世とあの世の境目とも考えられてきました。そういう神聖な領域とされる一方で、鬼や天狗、山姥、ダイダラボッチのような山や森に棲む妖怪などの話もたくさんあります。それほど、森林は常に身近な存在であり、精神的な結びつきが強かったんですね。
さて、様々な物語に登場する「禁断の森」。例えば、ハリー・ポッターでもダーク・フォレストとしても知られる禁断の森が登場します。森は木が鬱蒼として薄暗く、危険な生き物や何かが潜んでいるイメージもありますよね。今回はイングランドのおとぎ話から『禁断の森(The forbidden Forest)』のお話をご紹介します。
ある日、王は若い娘を見初め、結婚したいと思いました。ところが娘は愕然とします。なぜなら王は非常に残酷で、年も取っており、嫌悪感を抱いたからです。王は無理矢理娘を連れて行こうとしましたが、賢い娘は王の気を散らした隙に逃げて姿を隠しました。それに気づいた王は怒り狂い、国境を閉鎖し、声高々に宣言しました。「これから、私が気に入った娘は全て私のもの。飽きたら殺す」。こうして恐怖政治が始まりました。王は毎日、新しい花嫁を捕まえるために兵を送り、夜には自分の剣で娘の首をはねました。
当然ながら、王を拒絶した娘も恐怖を感じていました。国境が封鎖され、国外へ逃げることも出来ず、捕まるのは時間の問題でした。両親は人里離れた森のそばに住む祖母と一緒に暮らすように娘を送り出し、しばらくの間、娘は無事でした。祖母の紡績を手伝い、祖母は週に一度、毛糸を市場に売りに行くことで生計を立てていました。祖母が市場に出掛けている時、娘は屋根裏部屋に隠れていたのです。
ところがある日、祖母は体調を崩しました。市場へは行けないが、毛糸を売らないと2人とも飢えてしまう。そこで、娘は祖母の代わりに、市場へ行く決意をするのです。祖母は「危険は王だけではない。恐ろしい森もある」と娘に忠告します。「それは王でさえ無力な森。森は驚くほど危険な木に支配されている。いつから生えているのか誰も思い出せないほど古いオークの木は、世界にあるどの木とも異なり、感情と知性がある。それは人間を嫌い、通過を認めない。危険を冒して出掛けるというのなら、王と森に対する警戒を怠ってはいけないよ。」
娘はうなずき、かごを持って出掛けました。まもなくして、後ろから馬の音が聞こえ、振り返ってみると、そこにいたのは王を先頭にした大規模な狩猟パーティーだったのです。王の馬を振り切るのは無理だし、引き戻すにも遅すぎました。逃げる方法はただ一つ、森に入る事でした。
森の中は薄暗く、やわらかい落葉の音がしました。後ろを振り返ると、木々は娘の後ろで閉じていて、唯一の道は先に延びる道だけでした。行き止まりまで歩くと、目の前に立派なオークの木が巨人のようにそびえ立っていました。娘は膝を曲げて深くおじぎをしましたが、オークは動きません。すると、そよ風が森の中をざわめき、娘の前に再び道が開けました。娘はその道に沿って歩き続け、ようやく光が見えてきました。
当然ながら王も危険なオークの木については全て知っていました。家臣も王に森へ入らぬよう警告しましたが、王はその恐怖より、娘を懲らしめたいという欲望が勝っていたのです。 「私の領地で王を妨げるものは何もない!」そう言って森へと乗り込みました。木が開き、まもなく娘と同様にオークの木までたどり着きました。王はしばらく立ち止まり、軽蔑の目で木を見つめると、邪悪な呪いを吐き、馬を走らせようとしました。汚い言葉を口にしたとたん、ひどいひび割れの音が聞こえ、オークの木から重い枝が折れて落下し、王を馬から叩き落とし、首を押しつぶしました。家臣は王の死の叫びを聞き、すぐ森へ突入しましたが、その後、誰も王や家臣の姿を目にすることはありませんでした。
この物語における「オークの木」は、イギリスの民間伝承に深く根ざしているといいます。古代ではオークの木は怖いもの・恐ろしいものと考えられていて、切り株から新芽が生えると、そこは魔法で満たされ、夜に通り過ぎる愚かな者に復讐としていたずらするため、オークを切るのは危険だと言われていたそうです。他に、柳の木は自らの根っこを引き抜き、旅行者を追いかけ、不気味な独り言をつぶやくとされました。この2つの概念は、『指輪物語』などの著者として知られるJ・R・R・トールキンの作品に影響を与えたと言われています。
さて、「オークの木」と言えば、私が住むエセックスにムンドン(Mundon)という小さな村があります。ここで目に留まるのが「石化したオークの木」。ここは『ムンドン・ファーズ(Mundon Furze)』と呼ばれる古代の森(1600年以前から継続的に存在していた森林)の生き残りの一部と言われています。森の木は王立艦隊の船を建造するために使用され、不適切なために残された木とも言われているようですが、その明確な証拠はありません。この「石化」というのは魔女が石に変えたという伝説によるもので、実際には石化しているわけではなく、死んでしまった木です。その背景には1644年から1646年にかけて、サフォーク、エセックス、ノーフォークなどのイングランド東部で、「僕ちゃん政府から魔女狩り任されてるもんねー(かなり噛み砕いて表現しています)」と吹聴したマシュー・ホプキンス(Matthew Hopkins; 1620年-1647以降)という自称「魔女狩り将軍」が、魔女狩りを行い、約300人もの無実の人々を魔女に仕立て上げて処刑し、多額の収益を得たという事実があります。現在、この地域は特別な環境保護下にあり、木に近づくことは出来ませんが、草木の緑や青空を背景にそびえ立つ大きく灰色の巨人の姿は非常に異様で、不気味な存在感を醸し出しています。こういう姿を見ると、色々恐ろしい話が誕生するのも頷けます。
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