アグネス・ウォーターハウス

1566年7月29日、エセックスのチェルムズフォード(Chelmsford, Essex)にて、イギリスで最初の「魔女の罪」による処刑(絞首刑)が行われました。その女性の名はアグネス・ウォーターハウス(Agness Waterhouse; 1503-1566)。あら、地元エセックスのお話じゃないの。ということで、今回はアグネス・ウォーターハウスのお話です。

イギリスでは過去に、約500人が魔術の罪で処刑されたと考えられています。ヨーロッパ全土でいえば、約12,500人の処刑されたという記録が残っているそうですが、実際にはその数よりもはるかに多かったと考えられています。もともと魔法や不思議な力というものは、病気を癒したり、幸運をもたらしたり、五穀豊穣を促す力があるとされる一方で、呪いや災害などを引き起こし、人々に害を与えようとする「悪」とみなされ、世界的に古くから存在していました。その記録は古代ギリシャや古代ローマにまでさかのぼるといいます。そして人々は、悪魔や天使、聖人などの目に見えない霊や、不思議なもののある世界に住んでいるのだと信じていました。魔女は悪魔と協定を結び、使い魔や小動物(黒猫、ネズミ、犬、フェレット、鳥、カエル、ウサギなど)を同行させていると考えられていたそうです。ジブリ映画『魔女の宅急便』でも黒猫ジジが描かれているのを何となく見ていましたが、魔女と小動物の関係にはそういう理由があったんですね。

Agnes Waterhouse 
Source; Wikipedia 

権力のある人々は魔女をとても警戒しました。そして、魔術は1542年にイギリスで正式な犯罪(Witchcraft Act)となり、「死刑に値する犯罪」と定義されたのです。それは5年後に廃止されましたが、1562年に新たな法律により復元しています。魔女の処刑というと、私は映画などの影響なのか火あぶりを想像してしまうのですが、イギリスではヨーロッパの他国と比較すると絞首刑の方が多かったそうです。確かに当時は、魔女の魂は燃やすことで浄化されるという考えがありました。イングランドでは主に絞首刑、スコットランドでは火あぶりの刑が行われ、しかもスコットランドでは生きたままという一番苦しい方法ではなく、首を絞めた後での火あぶりが多かったようです。イギリスでは火あぶりは反逆罪や異端で有罪判決を受けた場合の処刑方だったということもあります。

さて、アグネス・ウォーターハウスは、妹のエリザベス・フランシス(Elizabeth Francis)と娘ジョアン・ウォーターハウス(Joan Waterhouse; 18)と共に魔術で告発されました。いずれもハットフィールド・ペヴェレル(Hatfield Peverel)という小さな村の出身でした。ハットフィールド・ペヴェレルはチェルムスフォードの近くに位置する小さな村です。私も行ったことありますが、今日のハットフィールド・ペヴェレルは、魔女の村として広く知られている訳でもなく、中世の村の痕跡はほとんど残っていません。


事の始まりは「サタン(Satan)という名の猫がバターを台無しにした」という12歳の少女の言葉でした。サタンはもともとエリザベス・フランシスが15~16年飼っていた猫で、彼女は子供の頃に魔術を教えた祖母から猫を受け取ったと告白しました。その猫は魔女と一緒に住む使い魔で、魔女に代わって邪悪ないたずらをしているとみなされたのです。エリザベスには結婚したい男性がいましたが、妊娠後に結婚を拒否されたので非常に腹を立て恨んでいたため、彼を殺すためにサタンを送ったとの証言もありました。また、彼女は猫が妊娠中絶のためにどのハーブを飲むべきか彼女に指示したと言っています。結果的に彼女はその時、処刑だけはま逃れましたが、13年後に2回目の有罪判決を受けた後に絞首刑に処されています。一方、アグネスは魔女であったと告白し、使い魔は妹からケーキと引き換えにもらったサタンという名の猫だったと告白しました。彼女は、猫の魔力を試して家畜を殺し、隣人と数年前の夫の死にも魔術を使ったものとして有罪判決を受けました。娘のジョアンは、空腹で隣人に食べ物をもらいに行ったが断られ、母親が不在時にサタンを使って復讐したとされました。娘は無罪となりましたが、娘の証言は結果的に母親の有罪を後押しするものとなったようです。ざっくり言うとこんなお話です。通常、告発された重罪犯のほとんどは「無罪」を主張し、命を懸けて戦いましたが、アグネス・ウォーターハウスはそうしなかった。自ら有罪を認め、告白後も法廷で争っていたのは、おそらく娘を死刑から救うためだったとも考えられています。

アグネスが魔女であったもう一つの証拠として、彼女は処刑時、ラテン語(禁止されたカトリック信仰の言語)でしか彼女の祈りを言うことが出来なかったことが言われています。それにより彼女が古い宗教、つまり禁止されたカトリック信者であったことが証明されたというのです。実はイングランドでは彼女が生きている間に、非常に多くの宗教的変化が起こっているんですね。彼女が生まれたのは1500年代初頭、カトリック信仰だったヘンリー7世(Henry VII; 1457–1509、在位1485‐1509)の治世でした。ところが、ヘンリー8世(HenryⅧ; 1491-1547、在位1509-1547)により行われた宗教改革などのごたごたを経て、1566年に彼女が裁判を受けた時には、エリザベス1世の宗教的解決の下でプロテスタントの世の中となっていたのです。そして、誰もが法的にプロテスタントの言語である英語で祈りを言うことを余儀なくされていました。そしてアグネスは法の下、イギリスで最初に「魔女の罪」により処刑(絞首刑)された女性となったのです。

そもそも、なぜ人々は魔女を恐れ、虐げたのでしょうか?一言でいえば「八つ当たり」のようなものだったのかなと思います。八つ当たりとは怒りを人や物にぶつけることで自分の中にある怒りやストレスを発散させようとするような行為です。社会背景には疫病であるとか、宗教的信条に対する争いだとか、小氷河期と呼ばれた気候の寒冷化による大飢餓など世の中が不安定な状況にあった時代であり、人々の間で不安や不満、イライラが募っていったのだと思います。だから誰かを非難するという心情が生まれた。誰かが言ったことで集団ヒステリーとなったのかもしれません。でもその心情は現在の私たちの人間関係においても容易に想像できますよね。バターだぁ?今読み返すと、なんとも子供っぽいやり取りで、理不尽な罪を被せられたものだと思ってしまいます。今だったら猫が助言したり、人や家畜を殺すなんてまずありえないと考えるし、化け猫みないなものも伝説や伝承上の生き物と捉えます。失恋の痛みの中で、恨んだりする気持ちも分かりますけど、全てが説明手段のない魔術で片付けられてしまう。当時の人々が不安定で混乱した状態や不運・不幸を全て魔力の影響と考えていたとしても不思議ではありませんが、誰かの些細な一言で誰もが魔女に仕立てあげられる可能性のあった社会。なんとも恐ろしいですね。でも、現代におけるネット上での誹謗中傷も、ある意味同じなのかも。

参照;

  • http://www.essexvoicespast.com/agnes-waterhouse-hatfield-peverels-notorious-witch/
  • http://www.essexrecordofficeblog.co.uk/the-trial-of-agnes-waterhouse-witchcraft-in-essex-1566/
  • https://www.historic-uk.com/CultureUK/Witches-in-Britain/
  • http://www.essexrecordofficeblog.co.uk/2021/07/
  • https://www.capitalpunishmentuk.org/burning.html
  • Why Did People Fear Witchcraft? | History in a Nutshell | Animated History

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