ザ・チューダーズ
さて、男子の世継ぎが欲しいのに、年上の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの間には娘メアリー王女しか設けることができず、苛立つヘンリー8世30代。多くの愛人を持つものの、心を寄せたアン・ブーリンには王妃とすることを要求される。そのため、キャサリンとの婚姻の無効を求めて、なんとかイングランドの教会をローマ・カトリックから分離させ、アン・ブーリンと結婚するんですよね。この時アンは絶頂期だったと思います。でも、エリザベス王女を儲けるものの、男子は授からない。そこから歯車が狂っていきます。アンは男児を流産。男子を産まず、流産を繰り返すアンにヘンリー8世は愛想を尽かしてしまうのです。
皮肉なもんです。なぜならのちにキャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれたメアリーも、そしてアンとの間に生まれた娘エリザベスも女王の座に就いたのですから。では、なぜアンは苦しみ、処刑に追い込まれなければならなかったのか?それは王位継承順にありました。当時は、女系にも王位継承権が認められていたものの男子優先だったんですね。最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの間にはメアリーという娘が生まれました。2人目の妻アン・ブーリンとの間にはエリザベス。3番目の妻ジェーン・シーモアの間には息子エドワードが生まれています。エドワードはまだ幼くひ弱な体質であったこと、そして娘が健康であったため、ヘンリー8世は「イングランドでは女子の王位継承を妨げる法はない」と娘も跡継ぎと見なし、1543年に王位継承法を改正してメアリーとエリザベスにエドワードに次ぐ王位継承権を与えるのです(第三継承法;Succession to the Crown Act 35 Hen. VIII c.1)。実際にヘンリー8世の死後、王位に就いたのは9歳のエドワードでしたが15歳で亡くなったため、女系に継承権が回ってきたんですね。もちろん、その間に後継者をめぐる論争はありましたが、早い段階で「女子でもいいんじゃね?」(かなり嚙み砕いて表現しています)となっていたら歴史もがらりと変わっていたのかもしれません。
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