タラ・ブローチ

『タラ・ブローチ(Tara Brooch)』とは、650〜750年頃につくられたと考えられているケルティック・ブローチのこと。1850年にアイルランドで発見されました。アイルランドには『タラの丘(The Hill of Tara)』と呼ばれる非常に歴史と深い関わりのある丘陵がありますけど、実はその丘でブローチが発見された訳ではないんです。実際に発見されたのは、一応ダブリンから約50km北にあるベティスタウン(Bettystown)と呼ばれる小さな村の近くのビーチと言われています。1850年8月に発見した農民の女性(またはその息子たち2人)が、缶に入って砂浜に埋められていたのを発見したと証言したためです。でも何世紀にも渡る激しい波の動きや砂の移動などを考えると、侵食を耐え抜くことは不可能なのでは?ということで、内陸で発見された可能性が高いと考える歴史家が多いようなのです。恐らく地主からの法的措置を恐れ、事実を曲げて証言されたのではないかと言われています。では、なぜタラ・ブローチと呼ばれているのか?

ブローチは彼女からディーラーへ、ディーラーからそれまでケルトのリバイバル・ジュエリーを生産・販売していたダブリンの宝石商(G.& S. Waterhouse)へと売却されました。宝石商は販売戦略として商品魅力を高めるために、アイルランドで有名な『タラの丘』から名前をとって『タラ・ブローチ』と名付けたのだそうです。だから経緯を知らないとちょっと誤解を招きそう。。。

タラ・ブローチはしばらくの間、宝石商のメイン展示品とされており、その美しいブローチの噂は瞬く間に広まり、一目見ようと世界中から人がやって来て、ヴィクトリア女王も興味を示したそうなんです。そんな経緯もあって、1851年のロンドン万国博覧会(The Great Exhibition)、ダブリン展覧会(the Dublin exhibition; 1853)、パリ博覧会(the Paris Exposition Universelle;1855)に出展されることとなり、世界の舞台で脚光を浴びることとなったのです。ヴィクトリア時代、ケルティック・リバイバル・ジュエリーは人気を博したそうで、『タラ・ブローチ』はケルティック・リバイバル・ブローチの総称として使われるようになったそうです。そう言えば昔、当時は気にも留めなかったけど、イギリスのお土産コーナーでこういうデザインのケルティック・ブローチを見掛けた気がする。。。


Source; Wikipedia
Tara Brooch at National Museum of Ireland
12 July 2010, Own work,
Johnbod

ブローチは直径8.7cm、ピンの長さ32cm、金、銀、銅などの貴金属で出来ており、表にはガラス、エナメル、アンバーなどがはめ込まれ、動物やケルトの抽象的モチーフが見られます。現代でもブローチの裏側って何もなかったりしますけど、これは表と裏の両方に装飾が施されているそうです。このブローチ、現在はダブリンのアイルランド国立博物館(National Museum of Ireland)に展示されています。私はアイルランドへ行ったことがないので、実物は見たことはないんですけど、写真で見ただけでもその細かい細工がかなり複雑で、クオリティの高さが見て取れます。もちろんそれはタラ・ブローチに限ったことではありませんけど、高度な技術を用いて遠い遠い昔につくられているというのが驚異的。本当に驚かされます。
 
タラ・ブローチはウールのマントを固定するために使用されたものですが、その機能以上に装飾的なステータス・シンボルを示すものであったようです。使用されている材料、そして高い技術が使われていることから、非常に裕福な男性がその地位と富を誇示するために委託したものと考えられています。それを身に付けていた高貴な人物もさることながら、高度な技術を用い、その巧みなデザインでタラ・ブローチをつくり上げた金属細工師がどのような人物でどんな人生を歩んだのかも気になります。
 
 

因みに、うちの母親が好きな映画のひとつ『風と共に去りぬ(Gone with the wind)』の中で、主人公スカーレット・オハラが「タラへ帰ろう」と言う有名なセリフがありますが、彼女の父親がアイルランド移民であることから、これまたアイルランドの『タラの丘』に由来しているそうだ。
 
参照;

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