ナンサッチ・パレス

『ナンサッチ・パレス(Nonsuch Palace)』は、ヘンリー8世(Henry VIII; 1491-1547)によって建てられたチューダー王宮です。この宮殿はチューダー王朝の権威と壮麗さを称え、フランスのシャンボール城(Château de Chambord)に対抗して建てられた壮大な宮殿だったそうですが、実は未完成のままヘンリー8世は亡くなっています。どうしてそんなに立派な宮殿を私たちは知らないかというと、残念なことに宮殿はもう存在しないから。そう。今となっては幻の宮殿なのです。

現在、敷地(ロンドンの南)の一部が『ナンサッチ・パーク(Nonsuch Park, Surrey)』となっているそうです。私は行ったことないですけどね。ヘンリー8世がその場所を選んだ理由は狩猟場の一つに近かったためとされていますが、そこにはもともとカディントン(Cuddington)という村が存在していて、宮殿建設のために教会と村は一掃されてしまいました。表向きは「土地の買収」ですが、その陰には「土地を売らなきゃ、子孫へ受け継がれるべき全財産は差し押さえになるよ」という意味が含まれていました。まるで脅迫ですね。ヘンリー8世の死後、メアリー1世(1516-1558; ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの娘)は『だって、狩猟に興味ないんだも~ん(かなり噛み砕いて表現しています)』ということで、ナンサッチ・パレスをイングランド貴族だった第19代アランデル伯爵ヘンリー・フィッツアラン(Henry FitzAlan, 19th Earl of Arundel;1512-1580)という人物に売却し、アランデル伯爵が宮殿を完成させました。

Source; Wikipedia
Detail of Georg Hoefnagel's 1568
watercolour of the south frontage of Nonsuch Palace.
 
もともと宮殿の建設作業が始まったのは1538年4月22日、ヘンリー30歳の誕生日だったそうです。推定500人の労働者を雇用し、建設7年目で、ナンサッチ・パレスの約3倍の規模を誇るハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace)の建設費用をはるかに超えていたと伝えています。伝統的なチューダー様式で建てられた宮殿の規模自体は比較的小さかったにも関わらず、その装飾にルッサンス・デザインの要素が取り込まれたことでかなり費用がかさんだようです。そのファサードは、しっくいのレリーフや肖像彫刻、羽目板なので飾られていたそうなのです。そのほとんどがモデナ出身のイタリア人ニコラス(Nicolas Bellin of Modena)という人物が手掛けたものでした。
 
英語の『Nonesuch』には、「無比の、唯一無二の、逸材」などの意味があり、その名の通り、まさに他に匹敵するほどの宮殿がなかったということらしいです。ナンサッチ・パレスはその後、様々な人の手に渡り、1590年代までに再び王室の元に戻ってくるのですが、1670年にチャールズ2世(Charles II)が浪費家な愛人バーバラ(Barbara Villiers)に手渡すと、彼女はギャンブル負債を完済するためにバークレイ卿(Lord Berkely)へ売却してしまいます。そしてバークレイ卿はというと、ナンサッチ・パレスを解体し、自分の新たな家を建てるための資材として使用したそうなのです。そして、壮大なプロジェクトとして建てられた宮殿は姿を消してしまいました。何とも寂しい結末ですね。。。現存する宮殿のイメージはほとんど残されていないそうですが、オックスフォード大学での調査を基に模型が作られています。南側正面には隅に八角形の塔があり、はやり装飾がすごい。実物を見てみたかったな。。。興味のある方はこちらから模型を観ることが出来ます。https://www.thecrownchronicles.co.uk/history/history-posts/the-tudors/nonsuch-palace-henry-viiis-tudor-masterpiece/

参照;

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