ロイヤル・オーク

エリザベス女王が亡くなり、国王はチャールズ3世(King Charles III)となりました。夏にたまたま訪れた場所が、チャールズ2世ゆかりの場所だったので、おっ、チャールズだということで、今回は「チャールズ」繋がりのお話です。

まず、チャールズ1世(Charles I;1600-1649)というのは「君主の権力というのは絶対なんや」という絶対王政を進め、議会と対立した後、「清教徒革命(イングランド内戦)」で敗れて処刑されました。その後、革命に反対するスコットランドは息子のチャールズ2世(Charles II;1630-1685)をスコットランド王とし、イングランド王復位を目指してイングランドへ挙兵しました。その結果、1651年9月3日にイングランドのウスターにて、チャールズ2世とオリバー・クロムウェル率いる議会軍との「ウスターの戦い(Battle of Worcester)」が起りました。クロムウェル軍に敗れたチャールズ2世は命からがら逃げ伸びて、鬱蒼とした森の中に身を隠しました。そして、クロムウェル軍の兵士たちが彼を探し回る中、巨大な樫の木の上でじっと息をひそめて一日身を隠していたと言われています。木の上に身を潜めている間、兵士たちの姿が見えていたと言うから、物音一つが命取り、さぞかし気が気ではなかったことでしょう。そんな樫の木の子孫が『ロイヤル・オーク(Royal Olk)』と呼ばれて今も残されています。実際に樫の木を見に行った時、近くに立派な木が立っていて、ついつい間違えそうになりましたが、その奥に策で囲われたちょっと寂しい樫の木がありました。今でこそ周りには何もなくぽつーんと立っていますが、当時ここは深い森で、身を隠せるほどの巨大な木だったようです。


その後、チャールズ2世は兵士たちの目をかいくぐり、そんな鬱蒼とした森の中にたたずむ『ボスコベル・ハウス(Boscobel House)』へと避難するのです。現在イングリッシュ・ヘリテイジが管理する『ボスコベル・ハウス』は、かつて農家、狩猟小屋、別荘などとして使用されてきた古い建物で、現在グレード II の指定建造物となっています。この名前は、家が密林に囲まれていたことから、イタリア語で「美しい森(the beautiful wood)」を意味する「bosco bello」に由来しているそうです。ボスコベルでの生活は、ウスターの戦いから逃れて以来、初めて味わえた安堵だったと想像できます。記録によれば、夕食にチキンを食べ、髭をそり、ハサミで髪を切ったそうです。また、チャールズ2世が夜を過ごした寝室には、プリースト・ホール(priest hole)と呼ばれる司祭用の隠れ穴がありました。司祭用の隠れ穴というのは、以前にでも「司祭の隠れ場所。」でも紹介したことがあるのですが、カトリック迫害の時代において、有力なカトリック教徒の家の多くに作られていた司祭の隠れ場所のことです。息をひそめて過ごすにはかなり狭苦しい空間ですが、見つかれば、当然ながら罰金、投獄、処刑が待ち受けていました。


その後、チャールズ2世がどうなったかと言うと、スコットランドへは戻らず、イングランドを南下し、フランスへの亡命に成功しています。クロムウェルが死去した後、1660年にイングランド王チャールズ2世となり王位を取り戻しに戻ってくるまで、9年という長い年月がかかりました。よほどクロムウェルを恨んでいたのでしょう。1661年にウェストミンスター寺院で戴冠式を挙げる際、同寺院に埋葬されていた宿敵クロムウェルの遺体を掘り起こし、王殺しの罪で絞首刑に処したのち、晒しものにしたと言われています。

チャールズ2世は1662年にポルトガル国王の娘キャサリン・オブ・ブラガンザ(Catherine of Braganza;1638-1705)と結婚しましたが、2人の間に子供は生まれませんでした。ただ、結婚以前から愛人がたくさんいて、認知しただけでも庶子が14人もいたそうで、愛人や庶子たちには王位継承権は与えなかったものの、叙爵や屋敷をあてがったと言われています。中でも有名な愛人はネル・グウィン(Nell Gwyn;1650-1687)という舞台女優を目指した女性で、実は彼女の元カレはウィリアム・シェイクスピアの甥の息子チャールズ・ハート(Charles Hart;1625-1683)、そしてチャールズ・サックヴィル(Charles Sackville)という男性で、チャールズ2世が3人目のチャールズだったことから、彼のことを「私のチャールズ3世(my Charles the Third)」と呼んでいたそうです。

Source; Wikipedia
Charles II

さて、ロイヤル・オークに話を戻すと、1660年の王政復古の後、チャールズ2世が身を隠した樫の木が注目されて有名になり、観光客を引き付けました。昔の観光地あるある、皆が土産として小枝や枝を引き抜いたことから、木はむき出しとなり、1680までに所有者によって保護用の壁が作られました。ところが壁が根の水分を制限して損傷させてしまったようで、木は衰退していきました。1712年、そのドングリの1つから成長した若い樫の木が隣で成長していることが確認されました。それが現在のロイヤル・オークです。もともとの古い木の最後の根は1791年までに取り除かれました。実は現在のロイヤル・オークは2000年の暴風雨によって損傷を受け、2001年に現在国王となったチャールズ3世(当時は皇太子)が「チャールズ」の訪問 350 周年を記念して、ロイヤル オークの頭頂部から成長した樹木が植えられています。チャールズ繋がりで現国王も訪れていたんですね。ちなみにロイヤル・オークはパブの名前にも使われています。

それにしても、鬱蒼とした森の中で、なぜチャールズ2世が身を隠した樫の木が特定できたのだろうか?と疑問に思った私でしたが、ボスコベルの所有者がチャールズ2世を導いたと言われているので、特徴ある樫の木を覚えていたのかもしれませんね。

参照;
  • Wikipedia
  • Boscobel House and The Royal Oak, English Heritage
  • Divorced, Beheaded, Died..., Kevin Flude, Michael O'Mara Books Limted.
  • Gwynne's Kings and Queens, N.M.Gwynne, Ebury Press
  • I knever Knew That Aboutt Royal Britain, Christopher Winn, Ebury Press

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