マーケットの歴史-4. ストックス・マーケット

『マーケット(market)』という言葉は、ラテン語の「メルカトゥス(mercatus; Market Place)」に由来するそうです。ということで、マーケットの歴史シリーズ第4回目は『ストックス・マーケット(Stocks Market)』についてです。


『ストックス・マーケット(Stocks Market)』は、1282~1737年に運営されていたロンドン中心部のマーケットで、主にロンドンの主要な小売肉および農産物が販売されていました。それ以前は、チープサイド(Cheapside)のストールで食料品が販売されていましたが、そこからの廃棄物が、1274年エドワード1世(Edward I)が十字軍の遠征からようやくイングランドへ帰国し、ウェストミンスター寺院で戴冠式のための入場を妨げることが懸念されたため、肉屋と魚屋のストールはその後のストックス・マーケットの場所へと移されたそうです。そして、当時のロンドン市長(Henry le Walleis)によって、正式に『Le Stokkes』が建てられ、肉や魚の販売の中心と定められました。もともとノルマン・フレンチ(Norman‐French)語で名付けけられたのでしょう。名前はその後「LeStocke、lesStockes」などの記録も残されています。

面白いのはやはりその名前だと思います。ストックス・マーケットの「ストックス」は、犯罪者を罰するために使用された市内唯一の「固定式ストック」にちなんで名づけられたと言います。「ストックス」とは、つまりは足枷の一種で、足を拘束する装置です。この場所に固定されたストックがあったようです。

Source; Wikipedia
By Pearson Scott Foresman
 - Archives of Pearson Scott Foresman, donated to the Wikimedia Foundation
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また、興味深いのはストックス・マーケットの衛生基準は、他の場所よりも優れていたと考えられている点です。これは、ウォルブルック(Walbrook;川)からの水と排水が利用可能であり、ロンドン・ブリッジの監視員の管理下に置かれていたためです。1543年までに、マーケットには魚屋用のストール(25)、肉屋用のストール(18)、上部の部屋(16)をさまざまな貿易業者に貸し出し、家賃から集められた資金はロンドン・ブリッジの維持管理に使用されました。15世紀にはマーケット内に「トイレ」があり、ウォルブルックからの水で流していたそうです。

Source; Wikipedia
Sketch of Stocks Market, London, from the illustrated manuscript
"A caveatt for the citty of London, or, A forewarninge of offences against penall lawes"

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1666年のロンドン大火でストックス・マーケットは破壊され、その後再建されましたが、ストックス・マーケットの建物は、1737年にロンドン市長の公邸であるマンションハウスを建てるために取り壊されました。また、イングランド銀行(The Bank of England)と王立取引所(The Royal Exchange)が近くに建設され、1730年代までにこのエリアは一等地となりました。マーケット自体はフリート川に移され、フリート・マーケット(Fleet Market)と改名されたのち、1829年にフリート・マーケットはファリンドン・ストリート(Farringdon Street)に再建されました。移転後、マーケットは「魚と肉」から主に「果物、ハーブ、根菜」へと商品内容を変え販売しましたが、中心部から離れたことで急速に衰退したそうです。代わりに、果物・野菜などを販売するその他行商人や移動販売をする無秩序な人々が出現し、そのギャップを埋めるように繫栄したそうです。

ロンドン大火やペストについて記述したことで知られるサミュエル・ピープス(Samuel Pepys; 1633-1703)の1666年6月13日の日記には、ストックス・マーケットを訪れて、ロブスターをいくつか購入して帰ったけれど、購入したロブスターをタクシーのコーチに置き忘れ、非常にがっかりしたことが書かれています。なかなか人間臭さがあり面白いですね。彼がどのようにしてロブスターを料理して食べていたのか、詳しい説明は日記に無いそうですが、ロブスターをちょくちょく購入していたようです。ヘンリー8世(1491‐1547)もロブスター料理をテーブルに置いており、ロブスターは特に5世紀頃から食べ物として重宝されていたようです。
Wednesday 13 June 1666 
...Thence with mighty content homeward, and in my way at the Stockes did buy a couple of lobsters, and so home to dinner. Where I find my wife and father had dined, and were going out to Hales’s to sit there, so Balty and I alone to dinner, and in the middle of my grace, praying for a blessing upon (these his good creatures), my mind fell upon my lobsters: upon which I cried, Odd zooks! and Balty looked upon me like a man at a losse what I meant, thinking at first that I meant only that I had said the grace after meat instead of that before meat. But then I cried, what is become of my lobsters? Whereupon he run out of doors to overtake the coach, but could not, so came back again, and mighty merry at dinner to thinke of my surprize.  

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