マーケットの歴史-2.イーストチープ

イギリスではノルマン・コンクエスト(1066)以降、地名に『マーケット(market)』という言葉が加わることがよくありました。それは、ノルマン・フランス語(Norman French)で、現代のフランス語『マルシェ(Marché)』と同族のもので、例えば「ストウ(Stow)」は「ストウマーケット(Stowmarket)」、「ボスワース(Bosworth)」は「マーケット・ボスワース(Market Bosworth)」といったものです。それ以前のアングロ・サクソン時代はどうだったかというと、別の要素が使用されていたんですね。アングロ・サクソン語でマーケットは『ceap』であり、マーケットの場所を表す単語は『ceing』でした。そのため、後者から地名要素『チッピング(chipping)』が進化した訳です。日本人に人気の観光地の一つ、コッツウォルズにある「チッピング・カムデン(Chipping Campden)」もその一つです。

さて、古くからロンドンに存在するマーケットに『イーストチープ(Eastcheap)』があります。もうお分かりのように、この名もマーケットを表す単語に由来したもので、接頭辞の「East」は、昔の他のマーケット通り『Westcheap(今日チープサイドと呼ばれている)』と区別されて付けられたものだそうです。つまり、イーストチープの歴史は、少なくともアングロ・サクソン時代にまでさかのぼるという訳です。そのことは硬貨でも証明されているのだそうです。それは、1035~1037年に貨幣鋳造者Eadwold(moneyer; お金を造ることが公式に許可されている個人)により鋳造されたハロルド1世(在位1035-1040)のアングロ・サクソンのペニー硬貨です。

Source; Wikipedia
表(Obv.) +HAROL D RE+ A
裏(Rev.) +EADǷOLD ON ESTCEP LV

コイン自体は保存状態も良く、裏面の刻印もはっきりと判読できる状態にあります。硬貨には『EADǷOLDONESTCEPLV』と署名されており、それは『EadwoldonEstcep Lu[ndene]』と訳され、「Eadwold, on East Cheap, London」を意味するのだそうです。前置詞『ON』は次の文字の貨幣鋳造者の場所を示しており、『ESTCEP』は古英語の「east ceap」、つまり「東のマーケット(eastern market)」と捉えるのが最も妥当だと解釈されています。これが、ロンドンの通りである現代の「イーストチープ」の由来となるものです。そして、最後の2文字のLVは『Lundene』の略語(つまりロンドン)として読み取ることができるのだそうです。

なぜコインに通り名を付ける必要があったのか?確かに、現代のお金を見ても国名と製造年が記されているくらいですし、古いコインをみても貨幣鋳造者名はあっても通り名というのはかなり珍しいと思います。その理由は明らかになっていませんが、その地位ある貨幣鋳造者が市内の他の場所から転居したか、名前同様にアイデンティティの一部として彼の場所を強調したいという願望が込められていた可能性もあるそうです。また、実際に1040年頃のコインに「Eadwold ÐE ALDA (the old)」と記されたコインもあることから、この時期、ロンドンに同じ名前の2人の貨幣鋳造者がいて、場所と年齢で区別されていたという可能性が最も高いのではないかとされているようです。つまり、イーストチープを拠点としていたEadwoldと、そうでなかった別のEadwold。 1人は「年配者」人で、もう1人はそれより「若い人」だったということです。

地形学・考古学的証拠から「イーストチープ(Eastcheap)」は、10世紀後半から11世紀初頭に構築され、先にも述べた通り、西に対する東のマーケットとして名付けられたと考えられています。中世時代、イーストチープはロンドンの主要な肉のマーケットであり、通りの両側に肉屋の屋台が並んでいたそうです。


ロンドン大火やペストについて記述したことで知られるサミュエル・ピープス(Samuel Pepys; 1633-1703)の日記にも、この通り名が登場します。1662/63年1月21日(水)ある夫人と紳士を連れてロンドンへ行き、イーストチープのグローブ・タヴァーン(居酒屋)で彼らにグラスワインをおごり、その後別れたことが記されています。
Wednesday 21 January 1662/63 …So to the Dock again, and took in Mrs. Ackworth and another gentlewoman, and carried them to London, and at the Globe tavern, in Eastcheap, did give them a glass of wine, and so parted. I home, where I found my wife ill in bed all day, and her face swelled with pain. My Will has received my last two quarters salary, of which I am glad. So to my office till late and then home, and after the barber had done, to bed... - The Diary of Samuel Pepys
さらに、かつてイーストチープにあった「ボアーズ・ヘッド・イン(Boar's Head Inn)」というパブが、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)のヘンリー四世(Henry IV)第1部と第2部に登場するそうです。こちらのパブは実際1537年以前に建てられており、ロンドン大火で破壊しましたが、再建され18世紀後半まで残っていたそうです。(33–35 Eastcheap, City of London, EC3M 1DE)
Source; Wikipedia
イーストチープにあった解体される直前のボアーズ・ヘッド・イン, 1829 

ちなみに、下の地図では見えにくいかもしれませんが、チープサイドのメイン通りに通じる道の多くは、ハニーレーン(Honey Lane)、ミルク・ストリート(Milk Street)、ブレッド・ストリート(Bread Street)、ポウルトリィ(Poultry;家禽)など、マーケットのこれらの地域でかつて販売された農産物にちなんだ名前がついています。面白いですね。

Cheapside
https://mapoflondon.uvic.ca/

参照;

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