ミストレス

英語の『ミストレス(Mistress)』には、既婚男性が妻以外に囲う愛人、情婦、妾、不倫相手などの意味があります。古仏語で「修道院の監修、女官」などを意味する『maistresse』に由来するそうで、もともとは「他人を雇う女性、家庭を仕切る女性」などの意味があったのだとか。愛人や情婦などの意味で使用されるようになったのは15世紀初期頃からのようです。

さて、王政復古期ステュアート朝のイングランド、スコットランド、アイルランドの王だったチャールズ2世(Charles II; 1630-1685)は女好き、女たらしで知られています。彼には『陽気な王様(Merry Monarch)』というあだ名までありました。それはチャールズ君の治世初期は、ペストやロンドン大火といった災難が続いたにも関わらず、『フラムボイアントゥ(flamboyant)』という言葉に代表されるような、きらびやかに飾り立てた華やかなファッションの時代であり、チャールズ君自身、愛人をつくり人生を楽しんでいたから。しかも、彼は愛人やその庶子たちに叙爵や屋敷をあてがった太っ腹でもある。彼は知性があり、寛容で、人気のある人物だったようですが、下半身が緩いのが玉に瑕!?彼は10代の頃、ピューリタン革命の危機が高まったことから母たちとフランスに亡命したこともありフランスとイギリス両方に多くの愛人がいたと言われています。

Source; Wikipedia
King Charles II by John Michael Wright

彼は色々なゴタゴタの後、1661年に正式なイングランド王となり、1662年にポルトガル出身のキャサリン・オブ・ブラガンザ(Catherine of Braganza、1638-1705)と(政略)結婚するのですが、2人の間に世継ぎはできませんでした。キャサリンは美人だったのでチャールズ君は生涯大切にしつつも、その陰で公認されただけで愛人14人、認知された庶子14人いたと言われています。

 
Source; Wikipedia
Catarina de Bragança, 1665
By Peter Lely - [1], CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=62695749

そんな愛人の中でもロンドン美人と呼ばれるほどの美女だったバーバラ・ヴィリアーズ(Barbara Villiers)という女性は、わがままで、気性の激しいかんしゃく持ち。彼女自身夫がいたにも関わらず、チャールズ君のミストレスになりました。そして無理矢理、王妃付きの女官になって新婚のチャールズ2世とキャサリンの住むハンプトン・コートに入り込んだという強者です。正妻であるキャサリンは「そんな男はこっちから願い下げよっ。わたくし、実家に帰らせていただきます」と言うかと思いきや、チャールズ君の優しさにほだされ、数回妊娠しながらも世継ぎを出産できなかった引け目から、思いとどまりチャールズ君の側にい続けました。とはいえ、胸中の嘆きやストレスいかばかりか。。。

Source; Wikipedia
Barbara Villiers, Portrait by Henri Gascar

恋は盲目。そして人間は欲深い。例え他のものを犠牲にしてでも、好きなものは欲しくなる。人生や仕事において、不倫が命取りとなることもありますよね。嫉妬や憎悪など愛人や不倫に清いイメージはないけれど、チャールズ君は女性の喜ぶポイントを熟知していて、女性の扱いが上手だったのだと思う。たとえ女性がその愛情と虚しさの板挟みになっても、そういう男性はモテますよね。とはいえ、チャールズ君の死後、庶子の誰かに王位継承権が与えられた訳ではなく、そこはちゃんと弟のジェームズ2世が王位を継ぎました。

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