オークニー諸島のフィンフォーク伝説。

オークニー諸島(Orkney Islands)はグレートブリテン島の北東沖合いに位置するイギリス領の諸島です。行政の中心はメインランド島(Mainland)。メインランド島はスカラ・ブラエ(Skara Brae)などの新石器時代の遺跡が有名です。オークニー諸島は8世紀後半から9世紀初頭にかけてノルウェー人の顕著な流入があり、ヴァイキングはスコットランド本土への侵攻の拠点としました。そのため、スコットランドというより北欧の影響が強く、当然ながら民間伝承においてもケルトよりスカンジナビアの伝統が色濃く残っており、他とは異なる独自の神話が展開されてきたといいます。

『オークニー(Orkney)』という地名には「アザラシ諸島」という意味があります。これは、ノルウェーからヴァイキングたちがやってきた時の彼らの解釈に由来しています。もちろん「orc-」の要素はそれ以前から存在していました。歴史をたどると紀元前1世紀にはローマ人がこの諸島を『オルカデス(Orchades)』と言及しており、ここでの「orc-」とは子豚を意味し、「イノシシ」を指すと考えられています。また、オークニー諸島の古いゲール語名は「Insi Orc(ブタ/イノシシの島)」と呼ばれていたことから、かつてここにいた部族(おそらくピクト人)がトーテム(伝統的な家族・部族が信仰する動植物や自然現象など)の一種としてイノシシを飼っていたと理解されるようになりました。ヴァイキングたちはその「orc」を古ノルド語でアザラシを意味する「orkn」と受け取り、島を意味する接尾辞「-eyjar」を追加して「オークニージャー(Orkneyjar)」と名付けたのです。後世になって「オークニージャー」が単に転訛し「オークニー」となったという訳です。因みに、オークニーの地元人は、自らを「オルカディアン(Orcadian)と自称しているそうで、また、「ノルウェーの歴史(Historia Norwegiæ)」書によれば、オークニー諸島はオルカン(Orkan)という伯爵にちなんで名付けられたとも記載されているようです。

Source; Wikipedia
ヴィレム・ブラエウが1654年に作成したオークニーとシェトランドの地図。
最初のラテン語名Orcadesがこの時代にも地図で使用されている。

さて、オークニー諸島の周囲には多くの崖や自然の岩層があり、そういった険しい自然やオーロラのような神秘的な環境は神話にも大きく影響を与えていると言えます。そんなオークニーの民間伝承の一つに『フィンフォーク(Finfolk)』という種族の話があります。フィンフォークとはフィンを持つ遊牧民族で、黒魔術師の種族とされ、夏は目には見えない魔法の島『ヒルダランド(Hildaland;隠れた土地〔Hidden Land〕)』に住み、冬は海底王国『フィンフォーカヒーム(Finfolkaheem;フィンフォークの家〔Finfolk's Home〕)』に戻ると信じられていました。春と夏の間は海岸を歩いたり、泳いだり、時にボートを漕いだりして人間の捕虜を探し、漁師や若者を海岸近くで誘拐しては、配偶者として生涯奴隷の状態にしてしまうと言われています。なぜ彼らは人間を誘拐して配偶者とするのか。それはフィン同士が結婚すると、女性は美しさや神秘的な魅力を失ってしまうからという説があります。

彼らが住むとされる伝説のヒルダランドは、現在無人で鳥類保護区となっているエインハロー島(island of Eynhallow)と関連付けられるようになりました。それにはいくつか理由があり、その一つはやはり伝説にあります。ざっくりとその伝説を紹介すると、フィンフォークによって若い妻を海に引きずり込まれたメインランド出身のある農夫が、長い時間をかけてヒルダランドを見れる方法を得て、成長した3人の息子と共に復讐に出掛けるのです。神聖な塩と十字架を駆使して巨大な怪物(魔法による幻影の生き物だった)との戦いに勝つことで、ヒルダランドはフィンフォークによる全ての魔法から解き放たれて、むき出しの目に見える島となり、先祖代々フィンフォークの夏の家があると考えられていたエインハロー島からフィンフォークが追い出されて無人となったのです。それ以来、ここを「聖なる島」と呼び、教会が建てられたというお話です。実際、エインハローとは古ノルド語で「聖なる島」を意味するそうです。エインハロー島には元々人が住んでおり、1841 年の島の人口は 26 人でしたが、1851年に地主が小作人を退去させて以来無人となりました。そして、その退去により、それまで忘れられていた教会の遺跡が発見されたそうです。このように島の歴史と伝説が上手く重なり合っている部分があるのです。

フィンフォークの中でも背が高くて暗く、痩せ型の陰鬱な顔をした男性の外見をしている『フィンマン(Finman)』。フィンマン程特徴にまとまりがないものの、フィンマンやオークニー諸島の預言者の妻、賢い女性や魔女、巨人族、人魚などの要素が融合した『フィンワイフ(Finwife)』という呼称もあります。1851年以降、なぜかマーメイドの目撃がエインハロー島に集中しました。オークニーでは、マーメイドはフィンマンの娘であると考えられていました。長くて輝く魚の尾、金色の髪、雪のように白い肌、そして比類のない美しさを備えた美しい人魚として描かれています。夫を獲得することを目的としているため、その時だけは魚の尾を捨てて、美しい人間の女性になることができるそうです。

1990年には事件が起こりました。バードウォッチングを目的としたグループ88人がエインハロー島を訪れた際に、2人が行方不明となったのです。まぁ、単純に数え間違えたことが原因だったのかもしれませんが、当時は上空と海上からの大規模な捜査、地元警察と沿岸警備隊が海岸線を捜査したにもかかわらず手掛かりはなく、発見には至りませんでした。そのため、彼らはフィンフォークによって海へ引きずり込まれたのではないか、あるいはエインハロー島に戻ってきたフィンフォークだったのではないかとの噂が広まったのです。結局、この事件は未解決となりました。

何世紀にもわたる人間との交配の結果としてオークニー諸島の人々の中には「フィンフォーク;フィンを持つ人々」がいるという噂があるほどです。フィンマンはヴァンパイアのようにキリスト教徒の十字架のしるしを忌み嫌い、また日本と同じように神聖な塩で邪悪な魔法を清めていたのもなかなか面白い描写だったなと思います。先にオークニー諸島はスカンジナビアの伝統が色濃く残っていると書きましたが、ノルウェーには、ノルウェー人と北スカンジナビアの先住民であるサーミ人が住んでいます。サーミ人はノルウェー人とは全く異なる文化や社会を持つ遊牧生活を送っており、「フィンマルク(Finnmark)」として知られるノルウェー極北の地域に住んでいました。古ノルド語の資料ではサーミ人は「フィンナー(Finner)」と呼ばれ、天候を制御し、魔法を使う偉大な魔術師とみなされているようです。おそらく「フィンフォーク」の伝説もスカンジナビアから伝わって発展してきたものなのかもしれません。今回は省きますが、スコットランド、特にオークニー諸島やシェトランド諸島の民間伝承には、セルキー族(Selkie Fowk)といった、あざらしから人間に変身するような神話もありますね。このようにオークニー諸島には神秘的で面白そうな民間伝承が色々あり興味深いので、また機会があったら深堀してみたいと思います。

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