ノリッジのグリーンマン。

イギリス・ノリッジ(Norwich, Norfolk)に伝わる『グリーンマン』というお話があります。グリーンマン(Green Man, Greenman)とは、彫刻のモチーフなど中世ヨーロッパの美術にみられる葉で覆われた人頭像で、生、死、再生のサイクルのシンボルとも言われています。とは言え、グリーンマンの起源や意味は謎に包まれたまま。教会のルーフ・ボスなどに見掛けるのは、おそらく再生と復活のシンボルとして中世時代に異教のシンボルとして取り入れられ、キリスト教の信仰と結びついたためと言われています。今回、このお話に登場するグリーンマンは、野性の男、魔術的なイメージで描かれています。読んで気づいたのは『名前を当てるという』という、以前紹介した『トム・ティット・トット(Tom Tit Tot)』のお話に似ているということです。

Source; Wikipedia
 Roof boss from Rochester Cathedral, Kent
By Akoliasnikoff - Own work, CC BY-SA 4.0,
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むかし、現在のノリッジのすぐ南東にある森に、小柄で、鋭く尖った鼻と耳を持ち、全身緑色の服を着たダヌというグリーンマンが住んでいました。家は湿地にあり、ほとんどの時間を森で過ごしましたが、時々ノリッジに出没し、あちこちをうろついては、そこに住む人々のふざけた態度を見て楽しんでいました。ワイルドな顔と緑色の服は彼の存在を確信するには十分な程、頻繁に目撃されましたが、見たと思って振り返っても姿はいつも消えていました。

ある日、ダヌがキングストリートをうろついていると、ある家の窓から泣き声が聞こえました。泣いていた少女の名はアリゾン。貪欲な商人サイモン・ウォルポールの長女で、父親は娘をフィリップ・クランプと結婚させることで富を増やしたいと考えていました。クランプはアリゾンより20歳年上というだけではなく、ケチな男でもありました。「どうしたらあの恐ろしい男との結婚から逃れられるかしら?」。好奇心を抑えることのできなかったダヌは彼女の前に姿を現し、助けられるかもしれないからと話を聞きます。アリゾンはグリーンマンを見て最初怖がりましたが、徐々に話をし始めました。聞けば父親の気持ちは固まっていて、結婚は避けられないというのです。結婚式は今週末の土曜日。それまで部屋に閉じ込められているアリゾンは「結婚から逃れられるなら何でもするわ」と言いました。ダヌは涙するアリゾンを見て美しいと思い、何でもするという言葉を聞いてこう提案します。「僕は金曜日の夜8時にまた戻って来る。それまでに僕の名前を当てることが出来たら、自由となって、フィリップ・クランプと結婚しなくて済む。ただし、僕の名前を当てられなかったら、僕と一緒に来て暮らさなければならないよ」。アリゾンはダヌを見て一瞬戸惑います。なぜなら、その小さな野生のグリーンマンは彼女の夫としてあり得なかったからです。でもそれ以上にクランプは受け入れがたく、その提案を受け入れます。

アリゾンはすぐにメイドのマチルダを呼び、小さなグリーンマンとの出会いについて話しました。マチルダは結婚でアリゾンが狂ってしまったと思いましたが、言われたとおりにアリゾンの恋人であるジョン・プライアを探し出し、協力を求めるのです。ジョンは宿屋などを訪れては事情を説明し、聞いて回りましたが馬鹿にされるばかり。水曜日も木曜日も一日中通りを彷徨いましたが、何も情報が得られないまま絶望し始め、夜中には町を出て湿地へと向かいました。さらに彷徨い続け、東の空が薄っすらと明るくなってきた頃、茂みの中で小さなグリーンマンが火の周りを踊りながら歌っている姿を目撃するのです。

可愛い娘は僕のもの、本当に僕の花嫁になる。
可愛い娘にヒントはあげない。
僕の名前はだんだん大きくなる。
賭けた事を後悔するよ、僕の可愛い娘。
僕の名前がダヌなんて思いつかないだろう。

ジョンはほっとした気持ちでノリッジに戻りましたが、疲れ果てた彼は眠りに落ちてしまいます。驚いて目を覚ますと7時35分。慌ててアリゾンの家へ行き、メイドのマチルダに聞いたことを伝えました。マチルダは小さな紙切れに名前を書き、それをトレイに乗せたワイングラスの下に置いてアリゾンの部屋へと急ぎました。マチルダがノックして部屋へはいると、ダヌは既にそこにいてカーテンの後ろへ身を隠し、アリゾンは泣いているのが見えました。マチルダは微笑んでトレイを下に置き、紙を指差しました。メイドが去ると、ダヌはカーテンから姿を現してアリゾンを罵倒し、自分の名前なんか絶対に当てられないのだから、今すぐ一緒に森へ行こうと言いました。アリゾンは静かに話しかけます。「約束は守るわ。だからあなたも約束を守って、ダヌ」。ダヌは怒りの叫び声を上げて姿を消しました。

翌朝、ショーテシャムでオークの木が倒れて馬車を直撃し、フィリップ・クランプが死んだというニュースが舞い込んできました。これによってアリゾンは自由となり、ジョン・プライアと結婚し、その後も幸せに暮らしたということです。

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『トム・ティット・トット』と違って、登場人物も至って真っ当という感じがします。グリーンマンの提案に、アリゾンはいったん躊躇するんですね。マチルダも突然のグリーンマンの話に、相手が狂ったと思うんです。また、グリーンマンの話を持ち出すジョンに対しても町の人々の反応は冷たい。誰もが存在しているだろうと思いつつも、まだまだ噂の生き物に過ぎない。瞬時には受け入れがたい存在なんですね。個人的には後半になって突然登場する恋人に「アリゾンには恋人がおったんかい」と思わず突っ込みたくなりました。このお話が面白いのは、地名が実在し、男性の人名に至ってはフルネームで書かれていること。それにより伝説というにはかなり現実性を感じさせる話になっています。例えばキングストリートはノリッジに実在していますし、(上部では割愛しましたが)コニスフォードという名も登場し、正確な場所は分かっていないものの、実在したものとして現在のキングストリートのエリアとほぼ同じという点では複数の情報が一致しているそうです。また、ノリッジの南にはショーテシャムという村も実在します。中世時代、ノリッジは貿易の拠点として商人が行き交う裕福な町の一つとして、マーケットはいつも賑わっていました。川のアクセスを利用してオランダなどの外国との取引もあったことから、裕福な商人との結婚というのも実にあり得そうな話です。また、ダヌが歌う歌は英語の原文だと韻が踏んでありました。自分の名前を歌ってしまうところも『トム・ティット・トット』と同じですね。アリゾンにしたら、めでたしめでたしの結末ですが、相手が何をしたと言う訳でもないのに死んでしまうという残酷な話でもあります。

因みに、グリーンマンは一般的にパブの名前にもなっており、看板には陽気な姿で描かれることが多く、かつての五月祭が行われた場所を記念している場合もあるのだとか。ノリッジにも同名のパブがあります。写真はケントにあるロチェスター大聖堂のグリーンマンのルーフボスですが、ノリッジ大聖堂にもグリーンマンがあるようなので、また行く機会があったら探してみたいと思います。
 
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