ゲレルト

『ゲレルト(Gelert)』というのはウェールズ北西部ベドゲレルト(Beddgelert)の村に伝わる伝説の猟犬の名前です。伝説によれば、13世紀初期のノース・ウェールズ王;シュウェリン大王(Llywelyn the Great)がまだ若い頃、赤ん坊の息子の守りを愛犬ゲレルトに託して狩りへ出掛けました。シュウェリンが狩りから戻ると、口周りが血で染まったゲレルトが彼を出迎えます。それを見て最悪な事態が頭をよぎり、シュウェリンは青ざめました。慌てて息子を探しますが見当たりません。猟犬が息子を殺したのだと思い、悲しみに狂ったシュウェリンは剣を取り、それをゲレルトの心臓に突き刺しました。ゲレルトが死の苦しみに悶え鳴いていると、暗闇の奥でひっくり返ったゆりかごの下から赤ん坊の泣き声が聞こえました。息子は無傷でした。赤ん坊の側には勇敢なゲレルトによって殺された巨大なオオカミが死んでいました。真実に気付いたシュウェリンは後悔の念に打たれ、忠実な犬の遺体を村に埋葬して墓石を立てたということです。


この「ベドゲレルト」の村の地名は、忠犬ゲレルトの伝説と関連付けられており、『ベド(Bedd)』はウェールズ語で「墓」を意味し、「ゲレルトの墓」を意味する地名だと言われています。さらには村にはゲレルトの墓石があり、重要な観光名所として、毎年、何千人もの人々が訪れているそうです。

この伝説は実話なのでしょうか?この物語に登場するシュウェリン大王というのは、13 世紀初頭にウェールズを統治した実在の王(c.1173-1240)とされています。歴史において、彼は実際に狩猟に熱心で、この地で狩りを行ったことが示されているようです。また彼の狩猟小屋の跡地に建ったとも言われる17世紀の農家(Tŷ Isaf)が今でも村に存在しており、ナショナル トラストが改装を行い、一時はショップを開いていたようです(現在は閉鎖)。また、以前にも『ウールピットの緑色のこどもたち』で触れたように、オオカミはかつてイギリスに存在していました。そう考えるといかにも実話のように思えてしまいます。ですが、この「ベドゲレルト」の地名は、犬の名前ではなく、8 世紀初頭にここに定住した初期のキリスト教宣教師/指導者である 「Celert (または Cilert)」という人物にちなんで付けられたものと考えられています。つまりは、聖人(人物名)が埋葬された土地ということなのでしょう。地名の最も古い記録は1258 年の文書には「Bekelert」、1269年の文書には「Bedkelerd」と記録されているそうです。

つまり、ベドゲレルトの村に伝わるこの伝説は残念ながら「創作」に過ぎません。実は似たような伝説はウェールズに限らず、マレーシアやインド、エジプトなど様々な国に存在しているのです。この村の伝説は13世紀のものではなく、18 世紀後半にベドゲレルトの村にあるロイヤル・ゴート・イン(Royal Goat Inn)のオーナーであったデイビッド・プリチャード(David Pritchard)氏が、作り上げたものだということが分かっています。「Historic UK」のウェブサイトによれば、彼はこのような話をあらかじめ知っていて、村に絡めて物語を創作し、墓石も建てることで、村の観光促進と自身の営業利益の向上を図ったということなのです。実際にその戦略は功を奏し、大きな効果をもたらしました。近くの修道院がシュウェリン大王と実際に関係があったことからシュウェリン大王の名前を用い、ゲレルトという犬の名前も生み出したことで、思わず信じてしまいたくなるような歴史と悲しい伝説が入り交ざったような内容になっているのです。創作とは言え、それでも人々がこの村を訪れるのは、この伝説に大きな魅力があるということなのでしょう。地名の由来が巧みに作り上げられた伝説によってすり替えられそうになるというなかなか興味深い例だと思います。

因みに、クマをイメージした「ルパート・ベア(Rupert Bear)」というイギリスのキャラクターがありますが、その風景の多くはウェールズ北部にインスパイアされおり、最初に生み出したメアリー・タートル(Mary Tourtel; 1874-1948)の死後、複数のアーティストによる製作チームへと受け継がれてきました。そんなアーティストの一人、アルフレッド・べストール(Alfred Edmeades; 1892-1986) も、お気に入りの村だったようでベドゲレルトに長年住んでいたようです。s

注;ウェールズ語の発音を日本語で表記するのが難しいため誤差はありますが、人名、地名は上記で統一しました。
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