廃村。タイナム

素朴な茅葺き屋根のコテージ、四角い塔のある教会、漁師たちの小屋が建ち並ぶ曲がりくねった小道、それに沿った小川、羊飼いと犬が見守る羊の放牧 - タイナム(Tyneham, Dorset)は、イギリスの牧歌的な風景の広がる穏やかで平和な村だったようです。多くの先史時代の遺物に囲まれてきたこの美しい渓谷の村は、古くから人々が住み続けてきた場所であり、ほとんどの住民は農業と漁業で生計を支えてきました。かつてはウィリアム1世(William the Conqueror)の異母兄弟であるロバート、モルタン伯(Robert, Count of Mortain; c.1031–c.1095)が所有していた土地とされ、ドゥームズデー・ブックには「ヤギの囲い」を意味する『Tigeham』として記録されています。1世紀後には『Tiham』、のちに『Tyneham』として知られるようになりました。そんな村が廃村となった背景には、第二次世界大戦というもの悲しい出来事がありました。

1943年11月17日、タイナムの全世帯に対し28日以内の退去命令が下されました。村全体がざわついたに違いありません。この地域は陸側全てが緩やかに起伏する丘に囲まれ、南は海に囲まれていたことから、ノルマンディー上陸作戦のためにイギリス軍とアメリカ軍の戦車兵の戦闘訓練に使用されることとなったのです。そして、訓練場の中心にあるこの小さな村の避難が不可欠となったのです。先の第一次世界大戦で既に自国のために多大な貢献をしてきた村人たちは、収穫の前には戻ってくるんだという信念に支えられながら、愛国心を持って平和的に立ち退きを受け入れたそうです。彼らは退去が一時的なものであり、再び戻ってこられると信じていたのです。仮の宿泊施設と仕事が見つかると、人々はしばらくの辛抱ということで遠く離れることなく散らばっていき、徐々に村は空となりました。

ところが悲しいことに、終戦を迎えても状況は元に戻りませんでした。心配していた村人たちは、コテージや草に覆われた畑、そして砲撃で損傷した教会の状態が悪化していることに失望し、戦争省(1684~1964年に存在したイギリス陸軍を統括するイギリスの行政機関)に手紙を書いて抗議しましたが、1947年にタイナムの土地が強制購入されて砲撃範囲の一部になるというニュースが流れ、最終的には個人的な配慮よりも、国益が優先されることとなりました。

「家へ帰る」という最後の望みを失った村人たちには、新たに建設された公営住宅が提供されました。明るくモダンで、電気や配管の整った住居は、時代遅れで衛生状態の悪い、古風な村の石造りのコテージとは違い、多くの村人たちは新しい家に満足したそうです。とはいえ、心を痛め、ショックから立ち直れない人も多かったとか。そんな彼らでさえ、徐々に古いタイナムがほとんど失われてしまったことを認めざるを得なくなってしまったのです。

225人が避難した最後の人が教会のドアに残したメモが知られています。
"Please treat the church and houses with care; we have given up our homes where many of us lived for generations to help win the war to keep men free. We shall return one day and thank you for treating the village kindly."
『どうか教会や家を大切に扱ってください。私たちは自由を守る戦争への勝利に貢献するため、何世代にもわたり住んできた家をあきらめました。いつか村へ戻ってきて、大切に扱ってくれたことに感謝するつもりです』。
土地は軍事訓練に使用され続けているようです。村の建物の多くは荒廃、または砲撃によって損傷を受けていますが、農業や開発が行われていないため、野生生物の天国となっているのだとか。1975年、国防省は 観光客や地元民からの苦情を受け、今では週末や祝日にアクセスが許可されているそうです。

この廃村については、人の「土地に対する想い」について考えさせられます。国の為というやるせない思いもあったのかなぁ。「住めば都」という言葉もありますが、戦争、震災、区画整理などで立ち退きを余儀なくされる人たちもいる訳で、祖先が住み続けてきた土地であればなおさら、土地に対する想い入れは強くなりますよね。それは人間として普通に沸き起こって来る自然な心情なんですね。

Source; Wikipedia
Houses of the Tyneham village - The shepherds house and the post office/shop

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