マーケットの歴史-5.クロス・フェア

かつてイングランドで開催された大規模なフェアに『スタウァブリッジ・フェア(Stourbridge Fair)』がありましたが、それと並んで最も重要なフェアに『バーソロミュー・フェア(Bartholomew Fair)』がありました。『バーソロミュー・フェア』は、中世から19世紀にかけてロンドンに存在したフェアで、1102年にバーソロミュー修道院が建設されたことが始まりとされています。かつてヘンリー1世のお付きだった吟遊詩人・道化師が、聖バーソロミューの幻覚を見たことで修道士となり、スミスフィールドに修道院を建設し、最初の院長となった彼は市場も創設したという事らしいのです。聖バーソロミューとは新約聖書に登場するイエスの十二使徒の一人とされ、アルメニアの王ポリミウスをキリスト教に改宗させたために殉教したと言われています。

さて、タイトルにある『クロス・フェア(Cloth Fair)』というのは、その『バーソロミュー・フェア』の元々のイベントで、修道院は資金調達のため、年に一度、バーソロミューの祭日(8月24日)の前後3日間、フェアを開く特権が認められていました。当時の特産物は羊毛。ということで、その名前が示すように、イングランド各地から織元やロンドンの毛織物商などが集まり取引が行われました。現在、ロンドンの北西部、スミスフィールド東にある短い住宅街には『クロス・フェア』という通り名が残されており、そこはかつて彼らのような商人が住んでいた場所とされ、特に17世紀頃は主に仕立て屋、服屋などが占めていたと言われています。1910年までこのクロス・フェアの通りは修道院の壁の中にあり、毎晩門が施錠され、門のあるコミュニティが作られていました。

初期の『クロス・フェア』を調べようと思ったのですが、ほとんど『バーソロミュー・フェア』として書かれています。いつ頃名前が変化したのだろうかと疑問にも思ったのですが、詳細な明記もなく、もともと会場は「マーケットのグレート・グリーン(the Great Green of the Market)」、「聖バーソロミューのマーケット(the Market of St. Bartholomew)」、「聖バーソロミュー・フェアの空閑地(the vacant land of the Fair of St. Bartholomew)」等様々な名で知られていたようなので、いつからというより、フェアが拡大・多様化する中で『バーソロミュー・フェア』という名が一般に定着していったのかなと思います。

『バーソロミュー・フェア』は1641年までに、国際的にも重要なフェアとして位置づけられ、拡大し、修道院の境内からスミスフィールドへと溢れていきました。


フェアは次第に娯楽等が増え、エリザベスの治世(1558-1603)に交易は衰退しています。修道院自体は1538年に解散しましたが、フェアだけは存続し続けました。しかし、修道院外へ拡大したことによる通行料の問題や、暴動と騒動、権利などの問題が絶えず、フェア自体が中止されたり、演劇が除外されたり、のちにスミスフィールドのマーケットが創設されるなどして自然消滅したようです。

Source; Wikipedia
By Elisa.rolle - Own work, CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php? curid=57744556

写真(上)は41-42クロス・フェアにある建物で、「ロンドンで最も古い」とされている家です。1614年に完成したこの家は、1666年のロンドン大火を生き延びています。記録によれば、幸いここが大規模な修道院の壁に囲まれていたために、大火を逃れることが出来たのだとか。建物はもともと中央に中庭を備えた11軒家のうちの一つで、大規模開発計画(The Square in Launders Green)の一部だったそうです。

一時期、危険構造物や衛生計画などから解体が危ぶまれましたが、1995年にこの建物を購入した新たな所有者が、構造を変えずに大規模な改修を行ったそうです。そのため、修復の品質保証として2000年に「シティ・ヘリテージ・アワード(City Heritage Award in 2000)」を受賞しています。この家についてはいくつかの興味深い事実が隠されており、室内のある窓枠には訪問者ウィンストン・チャーチル卿やクイーンマザーのサインが残されているそうです。また、建物の下には骸骨が埋まっているとも噂されています。

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