民族や部族名の残る地名。

5世紀頃、アングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)が海を渡り、イングランドへやって来ました。彼らはケルト文化を破壊したり、独自文化で塗り替えたりはせず、ケルト文化の上に自分たちの文化を加えていきました。同様に8世紀以降、デーン人(Danes)がやって来たときも、のちにデーン人(ヴァイキング)の支配下に置かれたデーンロウ(Danelaw)の地域でさえ、アングロ・サクソン社会が消滅することはありませんでした。このようにして、押し寄せた移民の波は、もともとそこに暮らす人々と混ざり合い、その結果、イングランドにはケルト、サクソン、デーンの要素が混ざり合った地名が生まれたといいます。文化の入り混じった社会では、それぞれの文化(習慣・方言)を持ったいくつかのグループが存在し、その中で自分たちのアイデンティティを保持しようとしたことが、結果的に、民族、部族、個人名という要素が含まれた地名の誕生につながったようです。実際、さまざまな部族集団の地域が生み出され、地名にはこの特徴が反映されています。

『イングランド(England)』という地名は、サクソン人と共に来航し定住した「アングル人の土地」を意味する『Engla-land』に由来しています。現在のノーフォーク(Norfolk)とサフォーク(Suffolk)を含むエリアを『イースト・アングリア(East Anglia)』と呼びますが、ここは520年頃イースト・アングリア王国が存在した場所です。この名称は「東のアングル人の土地」という意味でデーン人が付けたようです。スコットランド(Scotland)は、この地を統一したゲール人のラテン語名『スコティ(Scoti)』に由来します。また、ウェールズは、ウェールズ語で『カムリ(Cymri)』といい、「同胞や仲間」を意味しますが、サクソン人がケルト人を『walas(foreigners; 外国人)』と呼んでいたことから、現在の地名『ウェールズ(Wales)』となったと言われています。これは、それぞれの土地に別々の民族が住んでいたことを表しています。ウェールズと同様に、『ウォルブルック(Walbrook)』、『ウォルトン(Walton)』、『ウォルコット(Walcot)』などの地名も入植地として名付けられたものだそうです。『ブレットビー(Bretby)』や『ブレットン(Bretton)』のような地名は、ブリトン人(ブレッタ〔Brettas〕)が住んでいた場所、『ダンビー(Danby)』や『デンビー(Denby)』のような場所は、デーン人の集落として始まった場所とされています。

Source; Wikipedia
Southern Great Britain in AD 600 after the Anglo-Saxon settlement,
showing England's division into multiple petty kingdoms.

他に、ハートフォードシャーに位置する「ヒッチン(Hitchin, Hertfordshire)」は『Hicce, Hicca』と呼ばれた部族、ノース・ヨークシャーに位置する「リポン(Ripon, North Yorkshire)」は『Hrype』と呼ばれた部族が住んだ場所として知られています。また、「ウィッチウッド(Whichwood)」は『Hwicce』と呼ばれた部族の森、ロンドンの「アクスブリッジ(Uxbridge)」は『Wixen』と呼ばれたサクソン部族の橋を意味すると言います。

地名の最後に付く『‐ing』も「〜の人々(people of〜)」を意味することは一般的によく知られていますよね。例えば、『レディング(Reading)』は古英語の『Readingas』に由来し、「Readaの人々」が住む場所を意味します。古ザクセン語(the old Saxon language)で『‐ing』は「息子」または「子孫」を意味し、『‐ingas』は複数形だったそうです。これらは元々、特定男性の「血縁者(扶養家族・親戚)」を意味したようですが、部族の集団が必ずしも家族や血縁によって結び付けられていた訳ではなく、何か共通意識を共有していた人々の集まりだったようです。複数形は進化の過程で失われてしまったようですが、この「‐ing」の前には部族の指導者の名前が付いていたと考えられています。他に「Hedingham」のように「‐ing」だけでなく、その後ろに「‐ham(居住地)」などの言葉が合わさった地名もあります。

アングロ・サクソン時代、ヴァイキングの侵攻を食い止め、衰退したイングランドの復興に従事したアルフレッド大王は、文書の中でよく『Aelfred Aethelwulfing』と記されているそうで、これは、「エゼルウルフの息子、アルフレッド(Alfread, son of Athelwulf)」を意味し、「Wuffingas」は初代アングリア王の1人「Wuffa」の子孫でした。

アングロ・サクソン人が最初に侵略したイングランド東部や南東部(イースト・アングリア、サセックス、ケント)には、最後に『‐ing』を含む地名が多く存在することから、『‐ingas』の地名はイングランドで最も古いサクソン名の1つとも考えられています。ただ不明瞭なのは、その名が自発的に名乗ったものなのか、のちに与えられたものなのかまでは分からないということ。つまりは、定住してすぐその名がついたかどうか、時期的なことに関しては疑問が残るようです。まぁ、古い時代から発展した地域には違いないでしょうけども。

このようにして、昔から様々な民族・部族が混ざり合ってきたイギリス。はて、日本人はなぜにこの国を『イギリス』と呼ぶんでしたっけ?理由を忘れて調べてみました。これは、ポルトガル語で『English』を意味する『イングレス(Inglês)』に由来し、これが「エゲレス」という発音になり、「イギリス」に変化したと書かれています。そういや、日本は昔からポルトガルとのつながりがありましたもんね。

参照;

  • The Book of English Place Names, Caroline Taggart, Ebury Press
  • Tracing The History of Place Names, Charles Whynne-Hammond, Aspects of Local History Series
  • https://en.wikipedia.org/
  • https://www.bbc.com/culture/article/20160309-why-does-britain-have-such-bizarre-place-names
  • http://englishplacenames.co.uk/ Norfolk and Suffolk Place-Names/ by James Rye

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