キャサリン・オブ・アラゴン

キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon; 1487-1536)は、恰幅のいいヘンリー8世の最初の王妃として有名ですよね。でもその前に、ヘンリー8世の兄ちゃんアーサーと結婚していたんだって。あら、そうだったの?ってことでよくよく読んでみたら、確かにアーサーと1501年に結婚していた。しかも1489年にスペインとイングランドとの間で結ばれたメディナ・デル・カンポ条約(Treaty of Medina del Campo)には、既に2人の結婚が示されていたというから、なんだか可哀想な話よね。


キャサリンはスペイン出身。巨額の持参金を持ってイングランドに嫁ぐも、病弱だったアーサーは数か月後に15歳の若さで死んでしまう。一度手にした巨額の持参金を手放したくないアーサーパパ(ヘンリー7世)は、愛しい妻エリザベスが亡くなったことをいいことに、血迷って「じゃぁ自分と結婚するぅ?」なんて言い出す始末。さすがにそれもどーかしら?ってことで、結局は息子でアーサーの弟ヘンリー(ヘンリー8世)と結婚させるんだけどね。

キャサリンの人生ってなんだかとっても可哀想な気がしたの。ほぼ生まれた時から結婚相手が決まっていて、アーサー⇒ヘンリーとたらい回し(?)にされ、流産・死産を繰り返し、挙句の果てには『跡継ぎ産めないなら、僕、アン・ブーリンちゃんに乗り換えちゃうもんねー。それによく考えたら兄ちゃんの元カノってのはやっぱりヤダもん。結婚は無効、無効!(かなり噛み砕いて表現しています)』と王妃の座まで追われてしまうんだもん。しかもヘンリーの選んだ相手(アン・ブーリン)はかつてキャサリンの侍女。プライドも傷つけられたはず。。。

その後キャサリンは離婚を認めなかったものの、扱いはあくまでアーサーの未亡人。唯一出産し、成長した女の子メアリーとの接触も禁じられ、監禁のような生活を送っていたのだとか。唯一の救いは、処刑にならなかったことと、娘メアリーがのちに女王の座(メアリー1世/ブラッディ・メアリー)に就いたことだろうか?

画家ミケル・シトウ (Michael Sittow; c1468-c1526)が描いたキャサリンの肖像画(1503年頃)。なんだか物悲し気な表情してるよね。そんなキャサリンは48歳で亡くなっている。もし、ヘンリーとの間に後継ぎが無事育っていたら、歴史も大きく変わっていたんだろうな。晩年、彼女はどんな思いで過ごしたんだろう。。。

参照;

コメント