リチャード三世のベッドにまつわる話。
2012年9月5日、レスター市中心部の駐車場の地下からリチャード3世(Richard III: 1452-1485)の遺骨が発見され、530年ぶりの大発見ということでメディアで大きく報道されました。遺骨のDNA検査結果から目は青く、金髪であったことが示されているそうです。彼は1485年8月、ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)とのボズワースの戦いで、味方の裏切りに遭い戦死しています。
新たな『ブルー・ボア・イン』の家主は、非常に悪名高くなったリチャード王のベッドを1ペニーで訪問者に公開し始めましたが、他の話題が噂されるようになります。それは、アグネスが死亡してまもなく、女性に似た白い霧のような幽霊が目撃されるようになったことです。幽霊は誰に危害を加えるでもなく、ただ静かにその場を動き回りました。この謎の亡霊はアグネス・クラークの霊と言われるようになり、長いこと『ブルー・ボア・イン』に出現し続けました。
1836年、レスター市は古い中世の木造建築物はレンガと石造りの新しいレスターにはそぐわないと判断し、歴史ある『ブルー・ボア・イン』の建物は取り壊されて姿を消しました。少し離れた場所に新たな『ブルー・ボア・イン』の店舗が建てられ、宿屋ではなく地元のパブとして生まれ変わりました。名前がそのままであったためか、アグネスの幽霊もあちこちで目撃され続けました。歴代の家主はアグネスの霊の存在を認めてきましたが、1958年に幽霊の存在を信じなかったフレデリック・メイソン(Frederick Mason)という男が引き継ぐと、彼は階段から落ちて足を骨折したり、肋骨にひびが入るなどの不幸に見舞われました。ある晩、目覚めた時に足元に白い人影を目撃したのをきっかけにアグネスの幽霊を信じるようになりました。それ以来、新しい家主が自分の存在を認めてくれたことに満足したのか、アグネスの亡霊は二度と彼に迷惑をかけることはなくなったそうです。リチャード三世がたまたま残した財産のおかげで、強盗殺人にあってしまったアグネス・クラーク。亡霊となって姿を現すほど『ブルー・ボア・イン』には思い入れが強く、無念な気持ちを抱いていたのかも知れません。
さて、リチャード三世のベッドは、テナントからテナントへと渡り、最終的にレスターシャー博物館局(Leicestershire Museums Service)に買収され、現在はレスターシャーにあるドニントン・レ・ヒース ・マナー ハウス(Donington Le Heath Manor House)という所に展示されているそうです。なかなか話題に事欠かないベッドのようですね。
参照;
Source; Wikipedia By Barthel ii - Richard III Society website via English Wikipedia, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20472954 |
この戦争へ向かう前に滞在したのがレスター市にあった『ブルー・ボア・イン(Blue Boar Inn)』という宿屋でした。当然ながら彼は一番いい部屋を独り占め。ところが備え付けのベッドは使用しませんでした。なぜなら彼はベッドにうるさかったから。確かに寝床が変わると眠れないという人はいますよね。そのため、彼は常に自分のベッドを持参し、部屋で組み立てて使用していたようです。さすがはキング。翌朝レスターの『ブルー・ボア・イン』を出発して戦争へと向かった彼は、どうせ戻ってくるのだからとベッドは当然のこと、秘密の宝物もベッドの中に隠していきました。しかし、先にも述べた通りリチャード3世はそのまま帰らぬ人となりました。それにより、ばら戦争も終結し、プランタジネット王朝には終止符が打たれました。
Source;Wikisource, the free online library Mediaeval Leicester (1920) by Charles James Billson |
リチャード3世のベッドと財産は彼の死後も『ブルー・ボア・イン』に残されていたそうです。当初は『ホワイト・ボア・イン』という名前だったようで、宿主は体制を変えるために看板の白いイノシシを青く塗り直し、名前を『ブルー・ボア・イン』に変更しました。偶然か否か真意は分かりませんが、白いイノシシはリチャード三世の個人的な紋章でもあったようです。
Source; History Collection Richard III’s bed, now at Donington le Heath Manor, Leicestershire. Google Images. |
その後、殺された王の財産がベッドのどこかに隠されているという噂が広まりました。当然ながら大勢の人々がやって来て探しましたが何も見つかりませんでした。17世紀初頭頃になり、当時家主だったトーマス・クラーク(Thomas Clarke)がベッドの二重の隠し底からリチャード3世の財産を発見したと言われています。トーマスが亡くなると、金持ちの未亡人となったアグネス・クラークが一人で経営を引き継ぎました。
そんなある日、その噂を耳にしたトーマス・ハリソン(Thomas Harrison)という悪党が強奪を企てて、数日間宿に滞在しました。その間に、アリス・グリンボルド(Alice Grimbold)という使用人を誘惑して、アグネスがかなりの現金を私室に隠し持っていることを聞き出しました。計画は1605 年 2 月 3 日に決行されます。仲間の一人、エドワード・ブラッドショー(Edward Bradshaw)という男が宿泊のために『ブルー・ボア・イン』を訪れました。その夜、他の仲間も密かに到着し、アリスによって中へ招き入れられました。彼らは7人で使用人たちを拘束し、トーマス・ハリソンはアグネスを縛り上げると、アリスに金庫のカギを開けさせて、金銀の入った袋を6~7個発見しました。1604年当時、それらは£300~£500の価値があり、現在の価格に換算すると約£76,000~£126,000(約1,369万~2,270万円)もの価値があったと言われています。
アグネスの遺体と強盗事件が発覚すると、アリスが捕まり、彼女の自白が仲間の逮捕へとつながり、エドワードは1605年3月に殺人と強盗の罪によりレスターで絞首刑となりました。彼はアグネスの死は事故であり、黙らせるために彼女の喉に指を突っ込んだだけだと主張していましたが、アグネスは窒息死しています。アリスは強盗殺人の幇助として有罪となり、また反逆罪として生きたまま火あぶりにされました。
1836年、レスター市は古い中世の木造建築物はレンガと石造りの新しいレスターにはそぐわないと判断し、歴史ある『ブルー・ボア・イン』の建物は取り壊されて姿を消しました。少し離れた場所に新たな『ブルー・ボア・イン』の店舗が建てられ、宿屋ではなく地元のパブとして生まれ変わりました。名前がそのままであったためか、アグネスの幽霊もあちこちで目撃され続けました。歴代の家主はアグネスの霊の存在を認めてきましたが、1958年に幽霊の存在を信じなかったフレデリック・メイソン(Frederick Mason)という男が引き継ぐと、彼は階段から落ちて足を骨折したり、肋骨にひびが入るなどの不幸に見舞われました。ある晩、目覚めた時に足元に白い人影を目撃したのをきっかけにアグネスの幽霊を信じるようになりました。それ以来、新しい家主が自分の存在を認めてくれたことに満足したのか、アグネスの亡霊は二度と彼に迷惑をかけることはなくなったそうです。リチャード三世がたまたま残した財産のおかげで、強盗殺人にあってしまったアグネス・クラーク。亡霊となって姿を現すほど『ブルー・ボア・イン』には思い入れが強く、無念な気持ちを抱いていたのかも知れません。
- Wikipedia
- Mediaeval Leicester/Chapter 12 - Wikisource, the free online library
- What's On - Donington le HeathDonington le Heath (1620shouse.org.uk)
- 16 Street Laws in Paris Shaped by the Infamous Court of Miracles (historycollection.com)
- Richard III‘s Inn - Medieval History
- The Blue Boar Inn - Story of Leicester
- 'Voice of Richard III' captured by amateur ghost hunters | Daily Mail Online
- Richard III’s Bed and Fabled Treasure Led to a Murder... and Some Say a Very Persistent Ghost (historycollection.com)
- Richard III: Five things we've learned since he was found | CNN
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