シェークスピア語録-green-eyed monster
『The grass is always greener on the other side(隣の芝生は青く見える)』-他人のものは、自分のものよりよく見えるという意味の諺ですが、英語ではグリーン(緑)なのに、日本語訳すると青になるのが面白い。日本語にはこのように「青」と表現しながら、実は「緑」というものが多く存在します。例えば青信号とか、青虫とか、青りんご等々。。。見た目「緑」なのに「青」と言う不思議。その理由は諸説あるようですが、日本語の『青』が表す範囲の広さにあったとも言われています。確かに、日本は古来より、四季の移ろいの中から様々な中間色や伝統色を生み出してきました。例えば縄文時代からあった黄を帯びた鮮やか赤を『朱色』と呼んだり、柿のように鮮やかな濃い橙色を『柿色』と呼んだり、かつて江戸で染められた(青みを帯びた)紫を『江戸紫』と読んだり、若草が色濃くなったくすみのある濃い黄緑色を『草色』と呼ぶなど、個人的にその表現方法は日本独特で面白いしとても美しいなと思うのです。それを世界共通の色に当てはめた時に誤差が出たのかな。まぁ、専門的なことはさておき、そもそも、人間が認識する色には多少なりとも個人差があると思うのです。そう考えると厳密に色を表現するのって意外と難しいかも。
また、マリッジ・ブルーとも言われるように、気分が落ち込んでいるような時には「青」が使われていますよね。このように色と言えば感情を表現することもあります。例えば、シェークスピアが生み出した言葉の一つに『緑眼の怪物(green-eyed monster)』があります。これは「ねたみ、嫉妬」を抱いた人を意味して使われた表現です。グリーンという色は落ち着きのある色で、青々とした草木や森を連想させることから自然との関連性が強く、「成長」であるとか「新しい始まり」など肯定的な意味を持ちます。一方で、先ほど述べたような「妬み、嫉妬」という否定的な意味もあるのです。前者の意味は何となく分かるのですが、何故に「妬み、嫉妬」に関連するのだろう?
『緑眼の怪物』は、『オセロ(Othello)』および『ベニスの商人(The Merchant of Venice)』で用いられているようです。『オセロ』では、悪意を持ったイアーゴーがオセロの心に妻の誠実さについて疑念の種を植え付けてこう言います。
O, beware, my lord, of jealousy! / It is the green-eyed monster which doth mock / The meat it feeds on." (Othello, Act 3, Scene 3)『ベニスの商人』では、自律性と自我を備えた貴婦人ポーシャが、愛の感情というものは嫉妬や恐怖などの負の感情を全て飲み込んでしまうと説明しています。
「あぁ、閣下、嫉妬にはお気をつけ下さい!それは緑眼をした怪物で、人の心をもて遊び、餌食にする」。
Portia. How all the other passions fleet to air, As doubtful thoughts, and rash-embrace’d despair, And shudd’ring fear, and green-eyed jealousy! (The Merchant of Venice, Ⅲ. ⅱ. 107-11, The Riverside Shakespeare)
ポーシャ:他の全ての感情はみな飛び去っていく。懐疑心や突発的な絶望、身震いするような恐怖、そして緑眼の怪物までも!
グリーンがなぜ「妬み、嫉妬」に関連するのか、その由来ははっきりとは分かっていないようですが、その関連性は古代ギリシャにまで遡ると信じる人もいるようです。あくまでも一説ですが、その概念はギリシャ・ローマ神話の登場人物たちが物に姿を変えていくエピソードを描いた『メタモルポーセース(Metamorphoses/ 変身物語)』の中で、嫉妬というのは胆汁(肝臓で生成される黄褐色でアルカリ性の液体)が過剰生産の結果として発生し、人間の皮膚がわずかに緑色になるようなことが書かれていたことに由来するようです。1567年に、アーサー・ゴールディング(Arthur Golding; c.1536-1606)という翻訳家(ラテン語→英語)がこれを最初に翻訳して「緑色」と訳していたんですね。シェークスピアが『オセロ』を書いたのが1603年。『ベニスの商人』は1594-1597年頃。ウィキちゃん(Wikipedia)によると『メタモルポーセース』は中世文学、シェークスピア、グリム童話にも大きな影響を与えたということなので、嫉妬=緑色という概念が頭の片隅にあったのかもしれません。
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