ある村の隠された秘密。

キリスト教には、宗教・倫理の根本原理を簡潔に示した『十戒(The Ten Commandments )』というものがあります。それは;
  1. 主が唯一の神である。
  2. 偶像を作ってはならない。
  3. 神の名をみだりに唱えてはならない。
  4. 安息日を守る。
  5. 父母を敬う。
  6. 殺人を犯してはならない。
  7. 姦淫をしてはならない。
  8. 盗んではいけない。
  9. 隣人について偽証してはならない。
  10. 隣人の家や財産をむさぼってはいけない。
18世紀、アン女王の時代(Anne Stuart;1707年5月1日-1714年8月1日)、そんな十戒を破ってしまった教区牧師(Vicar)がいました。今回はそんな牧師のおぞましいお話です。

Source; Broughton Hackett

ウスターシャーにブロートン・ハケット(Broughton Hackett, Worcestershire)という小さな村があります。アン女王の時代、ジェームス・リー(James Lee)という丸々と肥えた牧師がこの村の聖レオナルド教会(St Leonards)の常駐聖職者として働き、十分の一税(tithe)で給料を受け取っていました。この十分の一税とは、農民から徴収した税の一種で、農民は生産物の10分の1(10%)を教会に納めなければなりませんでした。そのため、教区内の農場が裕福であればあるほど、牧師は裕福だったのです。彼は毎日たらふくビールを飲んでおり、肥えていたというのは裕福な証でしょう。気さくな牧師ではありましたが、ある日、若くて美しい女性に目が留まりました。それは、納税者の一人である農夫、サム・テイラーの妻で、彼らは典型的な年の差婚でした。英語で「年の差婚」は『May and December wedding』などと表現することがあります。これは『May(5月)』は春で若さ・初々しさを象徴するのに対し、『December(12月)』は寒い冬・人生の終盤を意味することに由来しているようです。相手があまり年配でなければ『December』の代わりに『November(11月)』などと置き換えることもあるそうですが、物語の中で『May and January(1月)』と表現されていたので、サム・テイラーはかなり高齢だったのかもしれません。

牧師が農場を訪れた時、たまたまサムが不在だったため、この若い女性と長いこと話す機会がありました。そして、この美しい妻の心がどこか満たされていないと感じたのでした。彼はサムが市場へ出かけるたびに、定期的にサムの妻と不倫を重ね、第七戒を破るようになりました。徐々に妻の異変に気付いたサムが妻を問いただすと、彼女は全てを告白し、激怒したサムは妻をその母親の元へ送り返したのです。

何も知らず、次に牧師が農家を訪れると、妻の代わりにサムが現れたので青ざめました。当然ながらサムは激怒し、牧師を罵倒しました。サムが司教に会いに行き、全てを洗いざらい話してくると言うので、牧師はショックのあまり固まって、これまでの人生が全て崩れ去る気がしました。頭の中ではこの悲劇を回避する方法について考えを巡らしていたのです。ふと、サムが農作業で使用していたつるはしが目に留まりました。その瞬間、彼は狂気を纏ってつるはしを掴み、サムの頭めがけて振り下ろしたのです。第六戒を破った瞬間でした。サムはその場で崩れ落ち、瞬く間に広まっていく血だまりの中で死んで横たわるサムを見て、牧師は我に戻りました。いったい何をしてしまったのだろう?とっさに遺体を処分しなければならないと思い、牧師は辺りを見回しました。この時代、たいてい大きな農家には家の暖炉に隣接する伝統的なオーブンの他に、ベイクハウス(Bakehouse)と呼ばれるパンを焼くための別の建物があったそうです。サムの農家も例外ではありませんでした。そこで牧師は農家脇にある小さなレンガ造りの建物へ死体を引きずり込んで火を起こすと、死体をオーブンに放り込み、灰になるまで火をくべ続けました。遺体が焼かれている間、牧師はできるかぎり血で汚れた道を掃除しました。その後、黒焦げの骨をできる限り粉砕し、農場の汚水塘に押し込み、サムの痕跡を完全に消し去ったのです。

事件後、牧師は高揚感から犯罪に対する恐怖へと感情が揺さぶられましたが、農場から何の知らせもなかったので、不都合なことは何も発見されていないのだろうと思っていました。数日後、牧師は礼拝のために教会を開放しました。礼拝も問題なく行われたことで、牧師は殺人を免れたのだと思い始めました。一週間が経過し、牧師の生活は元に戻り、自分は他の誰よりも賢いのだという信念に心を支配されていったのです。

次の日曜の朝を迎え、いつも通り説教を始めようとした時、教会のドアが突然きしみながら開き、入ってくる男の姿を見て、牧師は恐怖のあまり固まりました。なんと死んだはずのサム・テイラーが入って来たのです! 幽霊が通路を歩み近づいてくると、牧師は恐怖の叫び声を上げ、説教壇の床に倒れました。会衆は混乱に陥りました。

牧師は知りませんでしたが、実は農夫サムには双子の兄弟がいたのです。 彼はウォリックシャーに住んでいたため、兄弟はしばらく会っていませんでしたが、前の日曜日、彼が夕食を楽しんでいると、ひどい頭痛に襲われました。そして、頭痛が静まるにつれ、彼は兄弟に何か恐ろしいことが起こったのではないかと胸騒ぎを覚えたのです。仕事があった為、すぐに駆け付けることは出来ませんでしたが、日曜日の午前中にブロートン・ハケットの農場に到着しました。誰もいない農場に不安が募るばかり。その時、レオナルド教会の鐘の音を聞いて、兄弟と彼の妻が教会にいるに違いないと思い、駆け付けたと言うのが経緯でした。

正気を取り戻した牧師は、これ以上秘密を守ることに耐えられないと悟りました。牧師が全員に呼びかけると、教会は沈黙に包まれました。そして身の毛もよだつ詳細全てを語り出したのです。その後の告白を聞いてサムの双子の兄弟は当然ながら激怒しました。

ブロートン・ハケットの人々は誇り高い人々でした。いずれこの話が世に明るみになれば、彼ら自身もこのスキャンダルに巻き込まれるだろう。そう考えた有力地主たちは悲しみに暮れたサムの双子の兄弟と共に秘密会議を開き、大胆な計画に合意したのです。大地主は司教に手紙を書き、牧師が急逝したため、後任牧師の任命に同意する旨を伝えました。そして大罪を犯した牧師の運命はサムの双子の兄弟に委ねられました。牧師は通常は犬のために使用される鉄の檻に閉じ込められ、チャーチル・ミル近くの大きな樫の木から吊り下げられました。隣には、手の届かないところに、十分な量の食べ物と飲み物が入った別の檻が吊り下げられていました。そして週の終わりまでに、牧師は餓死で亡くなったそうです。
  
新しい牧師は最終的に何が起こったのかを教区の記録に書き記したそうです。その意図は、関係者全員が亡くなった後、彼の良心が清められ、後継者に真実を知らせることにありました。この物語は事実だったのでしょうか?それとも作り話だったのでしょうか?本当のことは誰にも分かりません。女好きな牧師や一卵性双生児、歳の差婚などは民話によく登場する題材でもあるようですが、今日残されているブロートン・ハケット教区登録簿のこの時期のページは不思議なことに何者かによって切り裂かれているのだそうです。

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