セント・ブライド教会にまつわるアレコレ

フリート・ストリート(Fleet Street)は中世までには完成していたというロンドン最古の道路の一つで、その名はハムステッドからテムズ川へ流れるフリート川(現在は地下を流れている)に因んでつけらました。そんなフリート・ストリートから少し奥まったところに、高い尖塔のあるセント・ブライド教会(St. Bride's Church)があります。セント・ブライド教会は英国国教会で、おそらくロンドンで最も古い教会の一つと考えられいます。教会名はアイルランドの守護聖人ブリジット・オブ・アイルランド(Saint Brigid of Ireland)に由来し、アイルランド人修道士や宣教師によって6 世紀頃に設立された可能性があると考えられています。

セント・ブライド教会入口

中世に存在した教会の建物は、1666年9月4日のロンドン大火(The Great Fire of London)により焼失し、その後1672 年に大建築家クリストファー・レン(Sir Christopher Wren)によって設計されました。セント・ポール大聖堂を含め、彼が建築に使用した石材は全てイギリス南部にあるポートランド島(Isle of Portland)から、帆船によってテムズ川経由でロンドン中心部へと輸送されました。残念ながら、その建物も1940 年のロンドン大空襲で大部分が焼失し、現在の建物は1950年代に忠実に再建されたもので、おそらくこの同敷地内に建てられた少なくとも7番目の教会ということです。1953年に再建工事が始まると、100年以上も封印されていたクリプト(地下聖堂)が姿を現し、ローマ時代の遺跡も発見されました。なぜそんな長い間忘れられていたのでしょうか?それは、1665年の大ペスト(the Great Plague of 1665)や1854年のコレラ流行(the cholera epidemic of 1854)の犠牲者を含む数千人の人骨が地下に収められており、当時、極めて不衛生な状態だったことから地下室が封印されていたのです。現在、クリプトはフリート・ストリート博物館(Museum of Fleet Street)として一般公開(無料)されており、ローマ時代のコインや中世のステンドグラスなど、数多くの古代遺物が保管されています。

フリート・ストリート博物館

ロンドン大火を含む詳細な日記(1660-1669年)を残した事で知られているサミュエル・ピープス(Samuel Pepys; 1633-1703)は、セント・ブライド教会に隣接する家で生まれ、1633年にこの教会で洗礼を受けました。また、15世紀に印刷機による英語版聖書の初期出版や辞書の出版の拠点となったことから、印刷業・出版業、ジャーナリズムの中心として多くの企業がこの地域に集中し、ジャーナリストの教会として知られています。現在、大手新聞社の多くは、フリート街の外へ移転してしまいましたが、今でもセント・ブライド教会には多くの亡くなられたジャーナリストたちの名前が刻まれています。



他に、このセント・ブライド教会で有名なのは尖塔で、その形はウエディング・ケーキの元になったという素敵なお話があります。18世紀の終わり、フリート街のラドゲート・サーカス(Ludgate Circus)近くにあったパン屋の見習いウィリアム・リッチ(Willia Rich; 1755-1811)が、雇用主の娘スザンナ・プリチャード(Susannah Prichard; 1758-1810)と恋に落ちました。彼女にプロポーズした彼は、彼女とその父(Davis Prichard)の両方を感動させようと、結婚式のために手の込んだケーキを作ることにしたのです。その時にインスピレーションを得たのがこの教会の尖塔のデザインだったと伝えられています。彼は尖塔のように何層にも重ねたケーキを作りました。実はこのお話を調べているうちに、パン屋見習いの名前がトーマス・リッチ(Thomas Rich)とあったり、パン屋の場所も、ラドゲート・ヒル(Ludgate Hill)やラドゲート・ラウンド(Ludgate Round)と情報がバラバラで混乱しました。ここでは聖ブライド教会ホームページの記載内容を引用しています。そもそも、ウェディング・ケーキの元となったことを裏付ける文書的な証拠は存在していないようで、個人的にこの物語に関して少々懐疑的でしたが、彼の花嫁であるスザンナは実際にセント・ブライド教会に埋葬されており、教会では彼女が所有していたドレスを保存しているそうです。また、生没年月日が分かっていたり、実在した人物のようなので、ウェディング・ケーキのお話も口頭伝承として残された実話だったのかもしれません。実際にケーキを見た花嫁とその父がどのような反応を示したのか、その辺が気になります。

セント・ブライド教会

セント・ブライド教会の尖塔は5層で高さ約70mあるんですね。クリストファー・レンが手掛けた教会の尖塔の中では、セントポール大聖堂に次いで2番目に高いそうです。その見た目は確かにウェディング・ケーキのようでもあります。では、実際にその頃イギリスにウエディング・ケーキは存在したんだろうか?気になって調べてみました。そもそも、ウエディング・ケーキに関する最古の記録は古代ローマにまで遡り、幸運と豊饒(ほうじょう)の象徴として大麦のパンを花嫁の頭の上で割っていたそうです。その伝統はローマ軍がブリテン島を征服した際にもたらされました。中世イギリスでは、ゲストたちが甘くないスパイス入りの小さなパンのようなものを結婚式に持ち寄り、それを山積みにするという習慣があったようです。新郎新婦は山積みにされたパンの頂上でキスを試み、山積みというキスがしにくい状況の中で成功すると幸運や子宝、繁栄が訪れると信じられていました。山積みというのがちょっとフランスのクロカンブッシュ(croquembouche)を連想しました。真意は定かではありませんが、確かにクロカンブッシュはフランス人シェフがこの山積みパンからインスピレーションを得たという説もあります。

16~17世紀にかけてはケーキというより、人気の高かった『ブライド・パイ(Bride Pye)』なるものが提供されていました。『ブライド・パイ』は、現代のケーキとはかなり異なり、肉とスパイスで作られた風味豊かなペストリーだったそうです。そして個人的に馴染みのないその具材に衝撃を受けました。プロの料理人ロバート・メイ(Robert May)によって1685年に出版されたイギリスの料理本『The Accomplish Cook』の第5版(初版は1660年)によれば、「ブライド・パイはパイ生地に、牡蠣(Oyster)、子羊の睾丸(lambs’ testicles)、松の実、鶏のトサカ(cocks’ combs)などを詰めたもの」と記されています。そのほかにも、サツマイモ(sweet potatoes)、スズメの脳(cock sparrow brains)、エビ(prawns)、ザルガイ/二枚貝(cockles)、カキ(oysters)。 アーティチョーク(artichokes)とヒバリ(stuffed larks)などの具材もありました。

Source; Wikipedia
Four and twenty blackbirds baked in a pie,
illustrating the Mother Goose rhyme “Sing a Song of Sixpence”

また、ブライド・パイは複数用意され、一つは余興的なものとして生きた鳥やヘビを詰めた!?とあります。小麦粉で満たしたパイ生地を焼き、小麦粉を取り出して空洞にし、そこに入れたようですが、ちょっと怖いかも。上のイラストは、マザーグースの一つ「6ペンスの唄(Sing a Song of Sixpence)」を描いたもの。生きた鳥+パイの発想は前からあったんですね。その歌詞(Wikipediaより)の一部には;
6ペンスの唄を歌おう
ポケットにはライ麦がいっぱい
24羽の黒ツグミ
パイの中で焼き込められた

パイを開けたらそのときに
歌い始めた小鳥たち
なんて見事なこの料理
王様いかがなものでしょう?(以下略)
日本語で黒ツグミと書かれてありましたが、英語ではブラックバード(Blackbird)といって、イギリスではよく見かける鳥です。これでふと思ったのですが、パイを焼くとき、蒸気を逃がすための通気口としてパイに刺す黒い鳥型のホイッスルがありますよね?パイ・バード(Pie bird)、パイ・ファネル(Pie Funnel)パイ・ベンツ(Pie Vents)などと言いますが、ブライド・パイから来ているのかと思いました。調べてみたら、マザーグースのこの歌からアイディアを得たデザインだそうです。

Source; Wikipedia
Pie bird

話がそれましたが、ブライド・パイは結婚式で振舞われた伝統料理と言ったところでしょうか。現代でも結婚式で花嫁が女性ゲストに向けてブーケを投げるブーケトスがありますよね。キャッチした人は次に結婚をすることができる幸せのおすそ分けというイベントですが、同様の意味で、ブライド・パイの中に、カップルがガラスの指輪を隠し、その指輪を見つけた人が次に結婚することが出来るというようなことも行われていたようです。

そんなブライド・パイと並行して、「ブライドケーキ(Bridecake)」もこの時期に作られていました。ウェディング・ケーキの古い用語として、少なくとも 1550 年頃から知られており、スパイスやフルーツが入った甘い酵母パンに似ていたそうです。そして徐々にフルーツ・ケーキへと変化していきました。初期のケーキはシンプルな 1 段のプラム(プルーン)・ケーキでだったようです。この名は花嫁(ブライド)が結婚式の主役であることを強調しており、他にもブライドのベッド(bride bed)、花婿(bridegroom)、ブライズメイド(bridesmaid)など「ブライド」という接頭語が用いられているほどです。実は「ブルームケーキ(Broomcake;花婿のケーキ)」というのもあるんですね。花嫁の家族はごちそうのために 2 つのケーキを準備し始め、新郎新婦のケーキとして知られるようになったとあります。ゲストが持ち帰るための「花婿のケーキ」として、ダークフルーツのケーキが切り分けられるようになったそうです。

今日のウェディングケーキに類似したものが登場するのは18世紀。1769年、マンチェスターの菓子職人エリザベス・ラフォールド(Elizabeth Raffald; 1733-1781)が、自著の料理本『The Experienced English Housekeeper』中で、アイシングで塗り固めた二層のフルーツ・ケーキを『ブライド・ケーキ(Bride cake)』として紹介しました。さらに派手な装飾が加えられるようになったのは後年になってからです。ケーキの話はキリがないのでこの辺にしておきましょう。いずれにしても、ウエディング・ケーキの歴史は長く、愛や喜び、祝いに満ち溢れた新婚夫婦に幸運と繁栄をもたらす象徴として、その伝統は今も受け継がれているわけです。今回は話が飛び飛びになってしまいましたが、いずれもロンドンにあるセント・ブライド教会にまつわるお話でした。

Source; Wikipedia
Frontispiece from the 1825 edition of 
The Experienced English Housekeeper

参照;

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